[本] 我が逃走

「何もしない人は炎上すらしない。
何もしないよりも、何かやることに意味があるんだ」

家入一真さんの自伝です。大阪出張の隙間時間で読了。実際に一緒に仕事とかすると大変そうですけど、ものすごく魅力的なリーダーです。

今回は出張の中身も濃くて、色んなタイプの新しい出会いがありました。何年も住んで来た街の中ですらまだまだ知らないことだらけ。全部分かってから方向性を決めよう、なんて言ってたらお爺ちゃんになっちゃいそうです。

ちょっと最近、無謀な決断が多いかな、って反省する傾向にあったんですが、この本読んで認識が逆転しました。うじうじ考えてないで、ここ!って決めた方向にBダッシュ!

[本] 高千穂伝説殺人事件

地元が舞台のミステリー小説!30年前に出版されていたらしく、今回手に入れたのは79版(刷じゃなくて版ってどゆこと?)でした。長く読まれ続けているんですね。

フィクションとは言うものの、その舞台の高千穂(宮崎県)について入念な調査がなされていることが感じとられる説明が多く、自分が物心ついた頃から見聞きしてきた「高千穂観」って、実はこの小説がルーツなんじゃないの?と勘繰りたくなるくらいです。

バラバラに散らばった事実を、一個人(一権力と言い直しても)の視点から切り取って意味をつけて紡ぐのが物語であり歴史なんですよね。どれほど権威のあるとされる書物でも、全ての真実を網羅できるものではないし、時には主観が混ざり一方的にもなる。大きな声ばかりを聞くのではなく、小さくても美しい音色を奏でる者の語る物語に耳を傾ける努力を続けていれば、この国は(大きく出たな!)まだ何とかなっていくと思います。

http://bookshelf.lmlab.net/books/4041607086/2089

[本] クマともりとひと

「愛は、言葉ではなく行動である」(マザーテレサの言葉)

クマともりとひとという冊子を頂いて読みました。九州の実家に帰る山道はまるで、「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海のようだと、昔、日記に綴ったことがあります。間伐が行き届かず、立ち枯れや倒木もあちこちに見られ、昼間でも薄暗くやや不気味な森が九州のあちこちに存在します。

拡大造林が悪者のように言われることが多いですが、元を辿れば、子や孫の世代が家を建てる時に材料に困らないように、という想いがそこにあっての政策のはず。どんな時代にあっても50年先なんて正しく読み切れるはずがありません。想いの本質を受け継ぎつつ、軌道を修正し、先につなげるためのあと少しの機転が足りなかっただけ。九州からクマは居なくなってしまいましたが、それでもまだ何かできることはあるはずです。

[本] あした、次の駅で。

いいことばかりを奇跡はもたらしてくれるんじゃない。失敗も、大切な人を失う悲しみも、あなたを育てるための奇跡なんだよ。
あした、次の駅で。 高山文彦

気がつくと「可哀想な自分」幻想に浸ってしまうことが未だにあります。辛い目に遭った、理不尽な要求をされた、どうしても理解して貰えない…。でも、そういう時って大抵、自分が授かったものについては綺麗さっぱり忘れているものです。それに、自分自身の無理解が誰かを無意識のうちに傷付けていたこともあったかもしれません。少しでも世界のニュースに目を向けたら「自分だけが可哀想」なんて状況は100%有りえないことも自明です。

今あるものに感謝しつつ、もう一歩成長するために何が必要か、そういうことを考えながら日々を過ごしたい。ここならそれが出来そうな気がします。

[本] 鬼降る森

二上山の頂から高千穂を見下ろしてみると、高千穂神社の森が遠くに見え、二上山とそれをまっすぐにつなぐ線上の向こうに天の岩戸神社が位置していた。三つの霊地が一直線でつながっていた。

鬼降る森 – 高山文彦

「神社の系譜(宮元健次著)」を読んで、地元はどうかなと思い付き、ひょっとして大発見では?なんて思っていましたが、やっぱり先に気付いてる人は居るわけですよね。しかもGoogle Earthなんかに頼らずに。

神話の考証がとても面白い本でしたが、天孫族=侵略者と言い切り過ぎている怖さも感じます。虐げられた過去を忘れてはならないけれども、過去に囚われ過ぎて未来が創れなくなってしまうこともまた避けなければなりません。せめて猿田彦とウズメの邂逅くらいは融和の物語だったと信じたいところですね(本書で猿田彦は、まっさきに侵略軍に投降した情けない神様と評されています)。

月並みな表現しか思いつかないのが悔しいですが、この郷には壮大なミステリを紐解くようでゾクゾクする発見が次々にあります。次回のブラタジリ(勝手に命名した史跡探訪ツアー)が楽しみです。