六本木、Minority Report

犯罪予知が可能になった世界。電車に乗る人々が手に持った端末には最新のニュースが次々に配信され、壁面広告が語りかけてくる…。映画の中で描かれていた近未来の世界がもう当たり前のものとしてそこにあります。

六本木に滞在しながら、IBM Watson Summit 2016に参加しています。ビックサイトでSoftbankがWatsonと提携した話を聞いたのが、ちょうど一年ほど前でした。ニュースから判断する限り、GoogleやMicrosoftに遅れをとっているのでは?という感じのあるWatsonですが、実際のところはどうなのかじっくり調べたいと思います。

天王洲とCognitive computing

ここ最近の画像認識の分野の進歩は速く、以下のような写真をAIに見せると、ワインですね、高層ビルですね、と正確に答えを返してきます。2,3歳の子供が世界を認識して言葉を覚え始めたレベルでしかない、と言われればその通りですが、成長と革新のスピードはまだまだ衰えていないように見えます。

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余談ですが、データ分析の土台にデータ・ウェアハウスならぬデータ・レイクという言葉があるんですね。あんまり丁寧に溜め込んでもどうせすぐ陳腐化しちゃうから、もう何も整形せずに全部突っ込んでおいて、必要な時に探り出すんだそうです。Gmailなんかは、この手法の成功例だと思いますが、もっと高度なデータ解析についても、同じようなトレンドが来ているのでしょうか。

[映画] Inside out

http://www.imdb.com/title/tt2096673/

これ観たら絶対泣くから!って言われてたので独りで借りて観ました。泣けた…。

「私という一つの人格」というのは一つの概念であって、この映画が示すような「複数の私」という概念の方がしっくりくる人も居るはず。逆に、蜜蜂や人間の国家のように多数の個体が集まって、あたかも一つの意思を持っているかのように振る舞うこともあります。

蜜蜂の巣箱を開けるとやる気のなさそうな蜂もいるんですが、恐らくこれもシステムの想定内。大切なのは寛容さ、だと思います。どこか納得できない、矛盾する感情を否定も黙殺もせず持ち続けてることが、大局的に見た精神の安定感をもたらすのかもしれません。

靱公園

月に一度だけ父親に戻れる日…とはもう書きにくいですね。彼女らにはもう新しい家族が居て、自分の知らない新しい生活の中で日々成長しています。

誰かにとって必要不可欠な存在でなくなる、って寂しいことなんですけれども、その穴を埋める何かもきっと見つけられるはず。自分を支えてくれているものを一つずつ確認しながら、自分に何が出来るのかをしっかり考えましょう。

Colorfulな薔薇の花と子ども達の歓声の中で。素敵な休日でした。

農家とITエンジニア

どちらも「職業」というよりも「生き方」に近いように思います。

種を蒔かないと収穫は出来ないのですが、蒔いたからと言って芽が出るかどうかは分かりません。多くの技術書を読んで知識を蓄えても、それが仕事に繋がるかどうかは分かりません。

芽が出た後も、様々なケアが必要です。プログラマもシステムをリリースしたら日々バグ(虫)取りに勤しむことになります。

どんな災害がいつやってくるのか予期することができません。システム障害も、常に未知のケースとの戦いです。

エンジニアのための時間管理術 という本の受け売りですけれどね…。「職業」として真面目に捉えると割に合わないな、と感じる人も居るかもしれません。必要とされているから続けるという大義名分もあるかもしれませんが、一番の原動力は、作ること・育てることの楽しさなのかなぁ、と思います。この時期の田舎の田んぼは本当に綺麗です。写真は去年のですが… (^ ^;

背が伸びました

大学生の頃からずーっと一緒だった身長が、健康診断の時に測ったら1cmほど伸びていました。午前中に計測したら少し高い、という要因もあるみたいですけれど、なんだか嬉しいので「伸びた」ということにしてます。

産まれたばかりの赤ちゃんでも、いつかは必ず死ぬことが決まっている訳で、いわば誰でも進行の遅い癌にかかってるのと一緒です。どれだけ生きるかよりも、どう生きるかが大切。これ以上生きてて誰かの役に立つんだろうか、なんてバカなこと考えてる暇あったら、まずは自分のために何か成しましょう。

[映画] ゼロの焦点

久しぶりに映画の記録。Netflix契約してから見放題なんですが、逆に一本一本が印象に残りにくくなったような…。じっくり選ぶ、という過程もやはり大事。

歳をとると涙腺が緩くなる、ってよく言われますが、様々な役柄の感情に移入できるだけの実体験が伴ってくるからなのかもしれません。他人の気持ちが分かる、なんてことは所詮不可能かもしれません。しかし、そこに近づく努力を常に重ねながら齢を重ねる、という行為自体は素敵なことかも。

愛だけを残せ 名さえも残さず
命の証に愛だけを残せ

世界の終わり

鳥たちはなぜ歌うのか。世界はもう終わったというのに。

絶好のラウンド日和!…のはずだったんですが、予定が変わって、宮崎一人旅に。日向岬、西都原古墳群、市民の森公園を巡ってきました(動物園は時間が足りず!)。相変わらずゴルフはちっとも上達しないので、内心ホッとしてるかも(^ ^;

地震のニュースもそうですが、「死」というものがあまりに近く生々しく次々と起こり、時折、現実と黄泉とが混濁するかのようです。それでも、朝になると目が覚めて、昼になると空腹を感じ、夜になると誰かと語らいたくなる、そんなリズムを自分は持っているみたい。

世界は捉え様次第。全ては移ろい。古代のお墓の周囲は生に満ち溢れていました。

追記:

そういえば、市内の公園では蝉の鳴き声が聞こえていました。気が早いのが居るみたいですね。高千穂では、まだ朝夕に暖房をつけることがあります。

熊本地震 4日目

熊本加油!

香港の友人がよく「add oil!」って言い回しを使ってたのでピンと来ました。「熊本の人たち頑張って!」という意味の中国語らしいです。Facebookを開くと、世界中の人たちが心配して励まそうとしてくれているのが伝わってきます。

多くの道路が損傷・破壊され、今後の物流が心配ですが、この辺りは田舎の強みなのでしょうね。「もともと孤立してるみたいなもんや」という落ち着いたコメント多数。一時断水があったとはいえ、水を手に入れることに都会ほどの困難さは感じないのは確か。食料や燃料も普段から相当量、備蓄してある家が多いのではと想像します。

スーパーではパンやカップ麺、ペットボトル飲料の棚が空になっていましたが、上述のような雰囲気からして、地元の人たちが衝動的に買い占めに走ったというのではなさそうです(流通段階もしくは有志が被災地区に優先的に届けてるものと想像します)。

竹や木材でいろんな道具を作ったり、山菜を採ったり、川で魚を釣ったり…。祖父に教わった沢山のことを思い出しました。本物のサバイバルには程遠いんですけど(そりゃまあ子連れなので…)、山の中で水や食べ物を探したりという経験が、何があっても落ち着いて生き抜く力を涵養してくれていたのかもしれません。

熊本地震

棚からテーブルの上から物が落ち、割れてしまった食器も。家具自体の位置も少し変わってしまったみたい。夜中に大きな揺れが何度も続き、その度に枕元のiPhoneからは大音量で「緊急地震速報」が。

震源からはそこそこ距離のある高千穂でもこれほどの揺れと頻度です。熊本の人たちは本当に大変だろうと想像します。まだ安心しきってはいけないんですけれども、二夜明けて外に出ると、朝がとてもキラキラしていることに気がつきます。