望ノ社 – The Wishes Mystical Puppet Company

素敵なクリスマスパーティに誘われて、素敵な影絵の人形劇を鑑賞することが出来ました。ここは、とあるお寺の門徒会館です。クリスマスって宗教違うくない?というお話はまた次回。余興でとんだ醜態を晒す羽目になったお話は一生封印。

言葉が無く、音と光のみが織りなす幻想はもう何とも形容しがたく、実物を一回見てください、としか言いようがありません。美しさと物悲しさとは、切り離すことが出来ないのでしょうか。綺麗だから寂しく儚く見える?それとも儚いから綺麗に見える?

Why does it look transient? Because it’s beautiful, isn’t it? Or, because it’s transient, it looks beautiful.

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GIFD! LEGO Minecraft編

11月にアップしかけてそのままになってました。繰り返し書いていますけれど、「完成」を無意識に避ける癖があるみたいです。まだ作りかけなので、と言えば下手なところがあっても誤魔化せる、「完成」すると作る楽しみが終わってしまう、というあたりが潜在的な理由ではないかと自己分析。

もう2015年も終わりますが、今年の目標は「とにかく色々作る(=完成させる)」でした。本も書いたし、アプリもリリースしたし、Airbnbもリスティング作ったし、まあそれなりにできたのではないかと。うまくできなかったことはこれらの比ではないくらい沢山ありますけれど…。それらを養分にして次を育てられたら良いなぁと考えています。

しかし、プラモデルの完成に半年もかかってる自分がDIYでお店を作ったり出来るのでしょうか?かなり無謀な挑戦してる気がしてきましたが…とにかくやり抜かないと!

GIFD = Get it fu(検閲削除) done!
グダグダ言わず終わらせろ!の意。

360 – さろん

店舗スペースを借りました。あらゆる経済のパイが小さい田舎で、一つのお店を成り立たせていくのってかなり難しいことだと思います。でも、例えば月数万程度の出資で週一回お店を開けて、趣味的に楽しんだり、本格的な起業の準備が出来ればハードルは少し下がるんじゃないでしょうか(売上が立てば十分回収できる額です)。

360

カフェ&バースタイルの営業を基本として、店長を日替り制にし、色んな人が色んな拘りを持ち込める場を作りたいと構想してます。まあ、自分が趣味的にDIYを楽しみたかったり、ミニ四駆のコース広げてみたかったり、あと将来的にはHOくらいのゲージで鉄道模型を走らせる場にしてみたかったりとか、下心もなきにしもあらずなんですけれど。Airbnbで宿泊してくれてる海外からの旅行者を誘い出す場にしても面白いかも。

夢が膨らむばかりでちっともお店が片付きません。明日も頑張ります。

追記:

日替店長のアイデアは大阪の「Common Bar SINGLES(コモンバーシングルズ)」が元祖でしょうか。ここからコンセプトをお借りしています。こちらに帰ってくる以前はここで時々マスターをやっていました。

http://www.singlesfan.com/about

あと、ビール一生飲み放題券を10万円で販売するってのも面白そうですね。

引っ越し

遠くに見える山は雪を被って白くなっています。

3年前の12月にも単身用のアパートに引っ越しをしています。今日も同じように、一人暮らし用の住居に引っ越しです。不思議な周期を感じます。色んな思索が次々に浮かんできて、ここにもう何百字も書いて、でも結局思い直して全て消してしまいました。

苦しんで悩んで、それでもなお生きるのは何故か?突き詰めると、ありきたりな宗教の命題みたいなことです。書こうとしていたのは。でも結局、ろくな結論が出せず、何にも書けないままビールが2缶空になってしまいました。まだ床には引っ越しの荷物と段ボールが散乱していて、置き場所の定まらない本棚やラックが佇んでいます。お昼に買ってきた塩味のラスクが美味しい。

宮崎日日新聞

今日は新聞の取材。なぜUターンしてきたのか、というテーマで色々と尋ねられました。昨日は「あるあるセブン」という地元の番組に少しだけ登場して、あちこちで「テレビ見たよ!」と言われ、ちょっと有名人気分。

一生懸命な記者の方には申し訳ないのですが、未だに、うまく説明出来た!と思える瞬間が一度もありません。何故こんな田舎で?と問われて明確に答えられる合理性がもしあるのならば、既にそこには人が集まって田舎で無くなっているはずだと私は思います。

ただ、漠然と感じ続けていることは、「生きる」ことには理屈以上の何かがあるのでは?という思いです。ひたすらに富を集め利便性を追求しても、そこにある種の「生き辛さ」が発生することになんとなく気づいている人は少なくないと思います。「この国には何でもある。希望だけがない」と村上龍が小説に書いたように。

ひょっとすると、何もないところからこそ希望は作れるのかもしれません。街灯のない夜道を歩くと、月明かりがこんなにも明るかったのか、と気がつくように。

2015年11月16日

大阪、名古屋、岡山と出張生活。最後は神戸に滞在して、リゾートホテルの高層階から夜景を眺めています。限りなく近づかないと見えてこない生活や人々の想いが、今瞬いている全ての街灯りの一つ一つにあって、それぞれの喜怒哀楽が詰まっています。

少々不揃いでも、小さくても、ひとつの灯りはいつも必ず綺麗な夜景の一部です。そして、それはその場の誰かにとっては無くてはならない灯りのはず。

出発の前日、電子レンジの扉にぶつけて出来た手の甲の傷痕がすっかり瘡蓋になっていて、今にも剥がれ落ちそうになっています。「癒える」というメカニズムの神秘さ。しかし、徐々に増大するエントロピィにひたすら抗うことが「生きる」ことなら、それは何のため−。

遠くに見える空港管制灯の一つが一瞬だけ一際強く光ったような錯覚。まだ考えるべきことがあるのかも。

伝統

空の雲も川の水も、木々の葉も畑も田んぼも、季節と共に変わりながら巡り続けています。去年の秋も、来年の秋も、今年と似ているけれど同じではありません。

伝統を守ることや、会社を経営すること、或いは自分自身が一人の人間として生きることもまた、変わり続けることと同義です。傍目にはじっとそこにあり続けるように見えるものこそ、実は常に周囲の環境に合わせて柔軟に変化しています。

20年ぶりに帰郷して、昔は見えなかったものがずいぶん色々とあるなぁ、と気付かされる日々です。まだまだ生きている間に学ぶことは多そうです。

クラクション

「どこ行きよっと?乗ってかんね?!」

休日に県道をウォーキングしていると、通り過ぎる車が挨拶のクラクションを鳴らしてくれたり、時には速度を落として声をかけてくれたりします。お節介と言えば、お節介だし、後続の車には迷惑だったりもするんですけれど、やっぱり温かいですよね。ただ「プッ」って鳴らされただけでも、なんとなく嬉しいものです。

 

MRT

またまたテレビの取材を受けました。プログラミング教室の風景を撮影された後に簡単なインタビュー。「どうして高千穂でこんな取り組みを?」と問われ、「緑豊かで静かな環境に身を置いて集中したかったんです」と答えたら「でも、街中で人を集めて賑やかで楽しそうですよね」と切り返されました。

お金を稼ぐ、人と出会う、美味しいものを食べる、十分な福祉・医療を受ける…。生きることを合理的に考えたら、人は都会に住むべきだと思います。でも、肝心の人間そのものは、そんなに合理的には出来ていないみたいで、(私がインタビュアに指摘されたみたいに)矛盾だらけで非合理です。それを許容してくれる優しさ、そういうものがこの田舎町にはあるような気がします。

ハーバーランド

人間がデザインした自然、というと矛盾している感じがしますけど、高千穂の棚田も、神戸の海岸も人間が形を決めたものです。どこまでがアーティファクトで、どこからがナチュラルなのか?って誰か定義していたりするんでしょうか。

潮の香りがする土地に住んでみたいな、と、時々思います。