フルスタック・エンジニア

サーバ環境のセットアップとか、ちょっとしたロゴやUIのデザインもこなします、という守備範囲の広い開発者のことを「フルスタック・エンジニア」と呼びます。良く言えばオールマイティなんですけれど、(自分も含めて)ただの器用貧乏で終わってるケースの方が多いような…。

自虐的な観察はさておき、、高千穂でやってみたいフルスタックは一味違います。小水力発電、場合によっては太陽光や風力も組み合わせて「電気から作る!!フルスタック開発スタジオ」なんてキャッチコピーの事務所を作れないかな、という話で盛り上がりました。社屋は地元の山から切り出した木材で、冬場の燃料も端材を加工したペレットで自足します。

エコとか経済性とか災害対策みたいな真面目な観点を詰めていくと多々問題は出てきそうですけれど、こういう企画って、なんだかワクワクしませんか?いつか、フルタイムでこういうことに没頭してみたい!

都会に住んでいると、土の地面を踏むことがあんまりないんですね。傘をささずに歩けるところも多く、深い水たまりに気をつけて歩くなんてこともなかった気がします。今まで履いてた靴は、滅多に洗うことなどなく、かかとが磨り減るまで使って交換してました。

今は梅雨時期ということもあるのですが、田舎に越してから靴が次々と汚れて(濡れて)しまいます。舗装された地面は多いとはいえ、周辺から流れ込んだ土やら草やらで、やっぱり汚れやすくなってしまうみたいです。もう替えの靴がなくなっちゃいました。。素早く乾燥させる方法を探さないと…。

ネットを検索すると「洗濯機の脱水にかける」「新聞紙を詰める」「吊るして扇風機の風をあてる」などなど色々出てきますね。

(Photo by 足成

ミニ四駆大会@452

競技用としてはちょっと小さめですが、ミニ四駆のコースが452にあります。いずれパーツを大人買いして大人気ないマシンを組みたい!と思ってるんですが、なかなか時間が…。まずは出走者の有志を何名か集めて小さく始めていきたいところですね。興味のある方、お問い合わせください!

山谷と田園

アパートの周辺を散歩してきました。覗き込むのが怖いくらいの深い渓谷から水の流れる音がこだまし、鳥や虫たちの鳴き声が混ざります。時折、通り過ぎる車の音だけが人間のもの。田植えの終わったばかりの田んぼに張られた水は綺麗に澄んでいて、泥の中の轍や足跡が綺麗に透けて見えます。

自然の中にいるときに時折感じる「寂しさ」が、たぶん本当の寂しさです。都会の雑踏のなかに一人佇んだ時に感じる「寂しさ」とは少し質が違うような気がします。

高千穂移住2日目

「到着地に発生している霧のため、着陸できない場合は…」というアナウンスにドキドキしながら関空から熊本に飛び、無事に引っ越しの荷物を運び入れて、役場に出向いて転入手続きを済ませました。2日目の今日は、職場になる予定のコワーキングスペースに入って今後の打ち合わせなどなど。

アパートの下見時に光ファイバが到達してることを確認していたので、申し込んですぐ使えるのかと思いきや、2,3週間はかかるんだそうです。さらに、携帯のネットワークが3G(4Gも時々入りますが、不安定)と、確認不足な部分がさっそく露呈しつつありますが…。一歩一歩改善をして行きたいところです。

レゴランド at 天保山

「大人のレゴ・ナイト」ですって(ドキドキ)。天保山に出来たレゴ・ランド。興味津々で覗きに行ってはみたものの、ショップだけ見て退散してきてしまいました。まだまだ純真な大人になりきれてない(笑)。

「『説教・自慢・思い出話』。この三つはなるべく抑えていかないと」って言ってたのは高田純次でしたっけ。これらに共通するのは、全部後ろ向き、ってところです。何歳になっても「もっと楽しいこと」を追い続けて居よう、とは思うものの、時々ふと後ろ向きになってる自分に気がつきます。背筋を伸ばすのと一緒で、定期的に意識することが大事なのかもしれません。やっぱり行っておけば良かった〜。

(注:ただいま引っ越しの荷造り真っ最中です。変な正当化してモノ増やしてる場合ではありません。

All you need is…

Love。直訳すると「愛」ですけれど、考えれば考えるほど難しい概念だと思いませんか。今日の物語の中では、「愛=執着」として描かれていることが多いような気がします。けれど、牧師が私たちに教えてくれた「愛」の定義は、違っていました。「感謝」「尊敬」あるいは「慈しみ」「赦し」。そういうものを全部まとめたものなんでしょうか。

明日、2人で宮崎に引っ越します。期待と不安とを、ちょうど半分ずつ両肩に抱えて。色んなことがあるでしょうけれど、たぶん、この「愛」の話を思い出せる限りはなんとかなっていくんじゃないかな、と思います。

他人に干渉されたい、それが愛の定義ではありませんか?
森博嗣 – 君の夢 僕の思考

愛する人を見つめることは、結局は、孤独を知ることであって、そして、きっと自分を知ることになるのだ。
 森博嗣 – 四季 秋

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
ヴィクトール・E・フランクル – 夜と霧

蔦屋書店 at ルクア1100

噂の(?)新店に行ってきました。本だけじゃなくて、ドローンとかMacBookとか、面白いものを色々集めました!っていう感じの品揃え。隣接するカフェから仄かに漂ってくるコーヒーの匂いも相まって、相当、テンション上がります。

ヴィレッジ・ヴァンガードを思い出しますね。ジャンルを絞らずに粒よりのコンテンツを集めた場所。店長からアルバイトまで一人一人の好みやこだわりが垣間見えて、なんとなく顔や性格まで想像できそうな気までしてきます。

田舎暮らしの合理性

田舎に引っ越すんです、と伝えると、とても心配して下さる方が時々います。半沢直樹というドラマの中で「出向させられるぞ」という言葉が、何かの罰を示唆するようなイメージで描かれていましたが、ひょっとしたらこういう風に捉えられているのかもしれません。

物流と通信がここまで発達してしまえば、さすがにもう”流刑の地”的な認識は古いですよ、と反論できそうですけれど、どうしても残る格差が医療でしょうか。大きな病院がありませんので、都会の大病院に搬送されれば助かる可能性のある病気でも、僻地では死を覚悟する必要があります。

生活費が安い、と言われますが実際に安さを感じるのは土地と野菜の値段くらいです。人件費も安いですが、勤労世代の人間にとってみれば、単に給料が安い、ということに他なりません。

あえてネガティブなことばっかり書いてますが、こういう思考の流れこそが我々が現在陥っている「合理性」の認識のトラップなんじゃないかな、と思います。欧米人は合理的だ、と言われますが、飛行機から飛び降りる危険なスポーツが好きだったり、当たるかどうかも解らないベンチャーに桁違いの資金をつぎ込んでいくのもまた彼らの一面です。

じゃあ何が正しい認識なんだ?と言われてもまだ分かりません。どうなるか分からないからワクワクし、もっと学ぼう知ろう、という意欲と好奇心が湧き出てくるということはあるみたいです。結局、「生きる」ってそういうことなのかもしれないなぁ、と漠然と感じる今日この頃です。引越しまであと5日。

関ヶ原、タコス、たほいや

大阪生活も残り僅かなので、色々とやり残しを消化中です。今日はまず関ヶ原へ。資料館を見学して、駅の近所をちょっと歩いて回る程度でしたが、先日読んだ小説(司馬遼太郎)が思い出されます。彼もこの地を巡り、史実を集め、あの壮大なフィクションを生み出したのでしょう。

夜は、英語のパーティにちょっと参加。ちょっと寂れた雰囲気の商店街にあるメキシコ料理店でタコスとテキーラに舌鼓。その後、東梅田のバーに久しぶりに顔を出して、「たほいや」に参加。