三回忌

まだ2年、それとも、もう2年。去年も見た銀杏の大木が今年も黄色く色づいていました。長く生きて来たな…と思います。これまでの人生に比べて相対的に1年の長さがだんだんと短くなってくるわけで、年々時間が経つのを早く感じるのは、それなりに根拠のある正しい認知です。

何ヶ月、何年経ったから、はいここでお終い、一区切り。ってのは本来無いんですけれど、1,3,7,13って綺麗な等比級数で心を慰めてくれる仏教の仕組みって凄いな…なんて感心しています。どうせまた皆同じところ(あの世)で再会するんだから、どこにも急ぐ必要はありません。

全てはご縁であり、刹那。出会いがあれば必ず別れもあるし、逆も然り。どちらにも素直に感謝できるような生き方を探しながら、もう少しこの世界で踏ん張ってみましょう。

二年

金曜日から4日連続でお酒を飲んでいます。毎日、出会いがあって、未来に向かう話があって、反省すべき失敗もあって…。同じところで浮いたり沈んだりしているだけのような気もするんですが、視点を遠くにやると、だいぶ違うところまで流れてきています。

たくさんのものを失って来たけれど、空いた隙間に、また別の素敵な何かが必ず見つかります。写真は日向の鵜戸神社で偶然見つけた潮溜まりです。奇跡のように澄んだ水の中に、透明な海老たちとハゼ、小さな熱帯魚が静かに同居していました。この日の夕方は高原町の温泉へ。

明後日からは高千穂に帰省します。

色即是空

あるいは空即是色。1は0に、0は1に。有と無。ストックとフロー。それとも、陰と陽?

こうして今打っている文字も、全てが0と1の二進数で表現されています。この文章を考えている自分の思考ですら、シナプスを駆動する微細電流の高低(1と0)から表出している訳で…。

この世の全ては信号が映す夢。だから、もう何もかもどうでも良い、と考えるのか、夢ならば自分のやりたいようにやろう、と考えるのか。問題はそのビット数(組み合わせの数)です。1ビットの思考だとどちらか極端に走ってしまいますが、もう一つ組み合わせを増やせば、4(2^2)通り、8組あれば256通り、64組あれば、1844京通り。思考の解像度を少しでも上げられば、世界のありようはいくらでも変えられるはず。

高野山とImmutable Infrastructure

 

感謝を言葉に

いい歳したおじさんがフレグランスとかハーブティとかバスソルトとか、爆買い(^^;

ワシは中国人か!乙女か!と自分にツッコミを入れながら帰宅したものの、テーブルに並べてみるとやっぱりニヤリとしてしまいます。なんと言われようと、いいものは良い!

購入したグッズの一つにあった御神籤に「感謝を言葉に」という言葉がありました。占いや祈りを非科学的だと切り捨てる態度こそ、非科学的だと自分は考えています。占いは自己認知のランダマイズされたリマインダです。何を言われたかに依らず、言われた通りに思考してみることで、固着しかけた認識の何かが紐解ける可能性があります。

お世話になってる人、気にかけてくれてる人、近くに居る人にほど感謝を伝えられていないような気がします。つい疎かになりがちです。そういう自分の欠点を(それこそ人生の一部をかけて)気づかせてくれた元妻にも感謝しています。ただし、毎日ひたすら「ありがとう」「ありがとう」と唱えていても仕方がなくて、占いでも記念日でもなんでもいいからそういうトリガを持って、時々思い出しながら、普段は全力で前を向いて生きていくべきだと思います。

神武さま

お祭りをやってることは知ってたのですが、交通規制の情報はよく知らず、偶然ぶつかった通行止めの道路の先に、馬に乗った花嫁が見えました。神武天皇のお祭りなんだそうですが、詳しいことはよく分かりません(^^; 地元の高千穂に四皇子峰という神武天皇が育ったと言われる土地がありますが、こっちで話を聞くと日南生まれの宮崎育ちと言われていたり、歴史もなんだかあやふや。

最近、こうして一日の終わり(もしくは朝)に日記を書くことがすっかり無くなりました。ほんの一千年ちょっと前までは、本を残すってのが国家レベルの一大事業だったことを考えると、家でビール飲みながら文章を綴ってボタンを押すだけで、誰にでも読める形で永続化できるって、やっぱり凄いことですよね。

文殊の知恵

3人でミーティングをすると、具合良くモノゴトが決まることが多いような気がします。多くても少なくても、(ダメということはないけれど)ちょっと違った感じになります。

いろんなことが目まぐるしく動いていて、明日なにが起こるのか分からないけれど、なんだかちょっとずつ楽しいことが増えてきそうな予感を自然に持てるようになりました。今がちょっとした躁状態なのかな?未来が見えないのは、どんな境遇に居ても一緒。未来を自分で作る行動をひとつずつ。

流通の付加価値

7月にAmwayのディストリビュータ登録してから、書こうと思い続けて、はや3ヶ月…。いちおう、所信表明のようなものを(1年後に読み返した自分がどう思うかな?)。

薄利多売を是とする小売業のシステムに関わらせて貰って、もう10年が経ちます。グランドデザインをする立場にいないとはいえ、流通業というものが今後どんな風に変わっていくのか、ということには常に一定の興味があります。

効率化がとてつもなく進んで、すごく安い値段で食品や日用品が手に入るようになった反対側で起きていることは何なのかというと、一番わかりやすいのは経営効率の悪い個人商店が潰れていくことです。「経営効率」という一軸だけで捉える限り、世の中は徐々に良くなってきているんですが、その「効率の悪い」部分は本当に無駄だったのでしょうか?例えば、店長の道楽で仕入れた変な商品が、新しい食文化に触れるチャンスを地域に提供していたり、御用聞きのバイトが道草して、どこかの誰かの悩み相談にのっていたり。…やっぱり無駄かな(^^;

でも、そもそも豊かさって余剰や余白のことです。

Amwayの解説で「流通の無駄を省くから原価率の高い(=良い)ものが届く」って言われることが、ありますが、自分の肌感覚としては、もう時代は逆転しています。ネットワーク・ビジネスという仕組みを抱えている分、ちょっと高い。だけど、その「ネットワーク」の副産物に目を向けるべきと考えました。「仲間を作る」というアクションに上手にインセンティブが乗ります。無縁社会と揶揄される日本の社会構造に対する一定の処方箋になるのではないでしょうか。セカンドクリエイタという言葉がありますが、人間誰しもがそんなに上手に「自己表現」ができるものではないと思います。表現が苦手な人間でも、隣の人に話しかけるモチベーションがこの仕組みから提供されることが面白い点だと思います。

包丁とかナイフを例にあげるまでもなく、どんなシステムでも悪意を持って利用すれば、他者を傷つける結果につながることは起こり得ます。要は、使い方次第。過去に酷い使い方をした人たちが居たからネガティブなイメージが蔓延していますが、もともとのシステムに悪意はありません(規約を隅々まで読めば伝わると思います)。

使い方に気をつける、ということでは、自分は以下の2つを原則としていきたいところです。

  1. お勧めをする、情報を伝える、お願いは絶対しない
  2. 他の製品やビジネスを批判しない

チャンスを掴んで一攫千金!なイメージのビジネスではなく、どちらかというとコツコツすすめるタイプのビジネスだと認識しています。「自分の隣に居る人に情報を正しく伝える」ことが自分はとても苦手だったんだな、と再確認できたことが最初の収穫だと思います。

不安は緑色

恐怖は黄色。難しい講義を聞いているみたいで、まだあんまりピンと来ていません。でも、自分と異なる言葉(言語に限らず)を話す人たちに耳を傾けるのは好きみたいです。自分が「分かっていないこと」の片鱗を覗く瞬間の高揚感。逆に捉えれば「分かる」ことは思考が停止していることと同義。

多様な価値観や嗜好、理念、意志。まだまだ知らないことがあると自覚することが、生きる価値そのものなのかもしれません。いつだって、他者を攻撃するのは「自分は正しい」と「分かった」人間たちです。

借金

奨学金の返済が今年で終わります。この他にも二つ借りていて、そちらは返済ずみ。返済義務がなく、ただ頂いたもの(寮に住ませてもらったり、書籍を送ってもらったり)もあります。返済を始めた当時は、親の支援で軽々と学校生活をこなして就職も決まって、という”普通”の人たちを恨めしく思っていたことも正直ありました。”普通”のレールに乗ったら、300万の借金を背負ったところから社会人スタートです。どうしてこんなにスタート地点が違うわけ?と感じていました。

今は違います。これが、人と自分を比べても仕方ないな、と気がつくキッカケになったと思うと、むしろ恵まれていました。ゴルフは上達すれば、普通の人よりもティー(スタート地点)を後ろに、つまり、より難しい条件でプレイさせて貰えるようになります。人生も同じで、約束された平坦な道を進むよりも、より自分自身の力が試される道の方が面白いし、想定外の変化に耐えられる力が付きます。メンタルが鍛えられる、と表現しても良いかもしれません。

冒頭に書いたように「貰った」ものも実はたくさんあって、肉親以上にお世話になってきた人たちがいます。どうしても日々の生活の中でその感謝を忘れがち。きちんと後続にまた渡していかないと。

SURFING

写真は台風通過後の青島ビーチの様子です。瓦礫が多く残り、波も少し高い中、サーフィン体験をしてきました。なんで夏の間にもっと行かなかったんだろう、とちょっと後悔。自分の体で感じないと分からない面白さが、まだまだ世界に溢れているのかも。

…と、かっこつけて書いてるものの、実際にはやっと最後の方で少し立てた程度で、ほとんど波に揉まれるか、バランス崩してひっくり返ってるかでしたが(^^;

嵐のビーチは立っているだけで恐怖を感じるような異世界ですが、必ず穏やかに晴れ渡る日がまたやってきます。無残に散乱する瓦礫の中を、丁寧に歩いて、よく目を凝らして見ると、真っ白な貝殻や、綺麗な形をした流木を見つけることができます。好奇心を諦めず、そして楽しもう。