[本] しょぼい起業で生きていく

「仕方なく、やりたくもない仕事を1時間やって1000円もらうよりも、好きなことをして缶コーヒーもらったほうが、はるかにうれしいと思う」
http://bookshelf.lmlab.net/books/4781617336/2420

先月読了してたのですが、今頃再掲。「道に穴があいていたら、後から来る人が困るから、それを埋める」みたいなことが仕事で、楽しさとか、やり甲斐なんて求めるのは甘えだ、という風に教えられて来ました。

しかし、現実を見渡しても、手頃な穴が空いてない。こっちを手伝ってくれ、と呼ばれて言ってみても、皆んなでこっそり穴を掘って、「こんなところに大穴が!」と白々しく喧伝して、それを大っぴらに埋める。みたいなことをやっている大人たちばかり。なんだかどうでも良くなってきちゃった。

…って感じの若者が多いのかな。と勝手に想像しました。だったらもう年収ん百万とか福利厚生がとか、そういうステータス要らないから、それぞれが楽しいと思うことをやりながら回せる経済圏を作ろう、ってことなのかなと解釈しました。

[本] かなたのひと

かつて高千穂は「麻の王国」であった。町史には、最盛期の明治時代には、現在の町内の水田作付面積450ヘクタールを上回る約460ヘクタールの面積で麻が栽培されていたとの記述があり、米よりも換金作物の麻の栽培が主だった。

かなたのひと「百年の麻布」 – 特定非営利活動法人山参会

Amazonでは買えない貴重な高千穂の文芸誌を手に入れて、やっと読了しました。折しも、沖縄で基地移設反対の住民投票をやっているタイミングに読み進めていたので、色々なことを考えさせられます。

ぼくは今、畑で大豆を蒔いている。何のために蒔いているか分からない。ちゃんと育ってくれるかどうか、それも分からない。ひたすら、黙々と蒔く。

かなたのひと「ぼくの平和大行進」 – 特定非営利活動法人山参会

高千穂の本当の魅力は、壮大な景色や神々の逸話以上に、そこに住み続ける人々にあるんだな、と改めて感じつつ。

夢は未来にばかりあるのではない。過去にも、ずっと昔にもあるのだと思う。

かなたのひと「橋を架ける」 – 特定非営利活動法人山参会

以前、「鬼降る森」を読んだときにも、(高千穂に伝わる)天孫降臨の物語は侵略、或いは融和、どちらの話だろう?という感想を持ちました。あらゆる出来事には複数の側面があって、どちらか一方が100%正解(正義)であるということは無いのだと思います。世界中からの沢山の観光客や、日本中からの移住者を受け入れながら、この町はどんな風に変化していくのでしょう。

人口の総数で見ると衰退していることになりますが、未来にベクトルが向いた人の割合を考えると、意外と楽観できるのかも?なんて考えてますが(^^;

料理教室

2018年の7月頃にABC Cooking Studio の体験に参加した時のことを書こうとしてほったらかしになってた記事がありました。最近、別の料理教室のコンテンツを拝見する機会があったので、掘り出してきて一緒に書くことに。

料理はマネジメントです。冷蔵庫のリソースをどう配置・配分すれば無駄なく活用出来るか。一つのタイミングで複数の品を完成させるために、タスクを並列化するには、どんな工夫が必要なのか。どんな順番でどんな風に味を足していくのか。イーストや麹を扱う場合は、消毒の必要性、温度管理などなど、化学や生物の世界に近い基礎知識も必要です。

過程(作ること)が楽しいというのは、色んな趣味の共通項だと思いますが、成果物がそのまま消費されていくというのが料理の良さですよね。昔、プラモデルづくりにハマった事がありますが、出来あがったモデルを飾っておく場所が無くて、段々手が止まるようになってしまいました。40代は趣味で料理でもしようかな(^^;

出資を頂きました

みやぎん地方創生ファンドに優先株を引き受けて頂く形での投資が実行されました。1月19日付けの宮崎日日新聞にも掲載して頂いています。IoTサービスの推進や、英会話・プログラミング教室事業などを運営する資金として活用します。

今回の投資を頂くにあたって作った事業計画の一つの軸になっているキャッチコピーが「じぶんで作るIoT」です。最近話題のAIに留まらず、あらゆるテクノロジは、ほぼ例外なく人間の仕事を奪う(人間を楽にする)ために開発されてきました。「奪う」というネガティブな用語がよく使われていることからも分かるように、これを不安視する向きが多いように思われます。「不安」の根源は「よく分からない」ことです。あえてパッケージングをしないプロダクトを提供しながら、子ども向けのプログラミングから、IoT機器のコントロール、さらにはパターン認識や機械学習まで、実は地続きなんだよね、ということまで、ちょっとずつ伝えていけたら良いな、と考えています。

私のようなものはこれから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく仕事をしたり笑ったりして行くのですから

「グスコーブドリの伝記」より

http://www.miyagin.co.jp/pdf/1919_pdf_data.pdf

ルールの意味

憲法を変えるなという強硬な姿勢は、憲法自体の改正ルールを定めた憲法に違反するものではないか?という主張が森博嗣のエッセイにありました。自分はどちらの立場というのは明確には無いですが、「議論すら駄目」という人たちには恐怖感を覚えることがあります。

大阪では、地下鉄の運転士が髭を生やして良いかという裁判が行われていたようです。敗訴した側の市長のコメントにも同じ感覚を覚えました。ルールはルールなのだから守れ、では閉塞感が強まるばかりです。なぜそのルールが存在するのか、制定された時点ではどんな意図があったのか、最大多数の自由を尊重する方向に調整が出来ないのか、政治(あるいは社内のルールを定める経営者)の役割はそこにあるのではないでしょうか。

大阪市長「なんだこの判決」 ひげ禁止巡る訴訟で控訴へ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000103-asahi-soci

失敗

経営者の仕事は、リスクを最低限に抑えたり、失敗を防いだりすることではない。リスクをとり、避けられない失敗に耐えられるだけの強靭な組織をつくることだ。

How google works

「失敗は許されない」という場面は、どんな分野のビジネスでもあります。直接的に人命に関わらなくても、規模が大きくなるほど、小さな綻びが大きな影響を及ぼし、その波が再び局所化する時、その当事者の人生を左右するほどのインパクトとなることだって起こりえます。例えば、ちょっとしたオペレーションのミスで大量の誤発注を飛ばし、数億円規模の損失を出してしまって、それを個人の過失として断罪されたら、大抵の人の人生は大きく損なわれるはず。

そうしたリスクを分散するために組織として動く、というところまでは大抵の管理者なら理解できると思いますが、その一つ上の視点を持つことは難しいかもしれません。組織として成長を続けることは、変化を続けることであり、変化を拒絶する(=リスクを許容しない)姿勢は成長を拒絶することと等価です。つまり、「失敗もある」という前提で全てを構築しない限り、成長は無く、成長を止めた組織は緩やかに衰弱します。

メサイア

自分には到底縁が無いだろうと思っていたコンサートに行ってきました。コンピュータを使ってあらゆる音(声も含めて)が合成できるようになりつつある時代ですが、そういったテクノロジーどころか、アンプ(増幅器)すら使わず、大きなホールを音で満たす中世から培われた技術って凄いなぁ、とかKYなコメントしか思い付きません(^^;

というのも、昔は音楽(特に合唱)が大嫌いでした。当時は理由なんて考えもしませんでしたが、コンクールなどに向けて、連帯感や奉仕の心を押し付けられる空気が苦手だったのかもしれません。ひねくれた子供でした。

でも、今は会社でチームビルディングをやったりボランティアをやったりを楽しんでいます(大嫌いだったはずなのに!)。自分の好きなことに没頭する楽しさを知ったからなんでしょうか。今の自分だと、歌うことや演奏することが好きな人の気持ちが分かるような気がします。聴いてくれている人たちを楽しませようという意思も伝わってきます。

2018年11月16日

11月に書きかけていた日記を、ふと思い出して掘り出してきました。年を経るごとに、違う世界に逝ってしまった人のことを想う機会が段々と増えてきます。傷や穴を抱えながらでも、人は生きていける。むしろ逆に、その分、他人の事を考えたり想ったりできるようになるはず。


あれからちょうど3年。もう一生訪れることは無いだろうと思っていた神戸のホテルに滞在しています。昨日も、ふとした電話がきっかけで、また忘れかけていた思い出に触れる機会がありました。

神様とか奇跡とかを信じている訳ではないのですが、誰かに見守られている感覚を持つことがあります。過去の記憶と偶然に一致した部分を増幅して認知しているだけと説明してしまえばそれまでかもしれませんが、そう理屈では理解していても、そう感じてしまうことが、時々あります。そう感じたいのかもしれません。

どう感じるかは、その人次第。でも逆に言うと、感じ方を変えるだけで状況を一変させることも可能です。そのことを只々伝えたかったけれど、叶わない願いになってしまいました。

今度の結婚式でお世話になる神様も「隣人を愛せよ」と仰っています。今目の前にいる人たちに精一杯のことをしてあげられるように生きていこうと思います。自分勝手な解釈ですけれど、「忙しいのもいいけど、たまには私を思い出しなさいよ」って言われてたのかな、と考えてます。

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧

2019年1月5日

1/5(土)午前11時30分から、宮崎教会で結婚式をします。

特に秘密にしていた訳ではないんですが、どこまでの人にお伝えすべきか…と悩んでいる間に、あっという間に直前になってしまいました。お伝えしてない方々ごめんなさい。披露宴は別の会場なので、30分くらいであっという間にはけていく潔い感じの挙式です。

拍手くらいはしてやるか、って気軽な感じでOKです。時間があったら是非、来てください!

EnglishCafe

&sambleの英会話カフェは年内は火曜日(12/25)が最終日です。

もともと自分がこうした機会(=外国人と気軽に英語で話せる時間)が欲しくて仕組みを作ったところも大きいのですが、どうせならより多くの潜在的なニーズを持った人に届けたいという欲もちょっと出てきて、販促も頑張っています(完全に素人の手探り状態ですが…)。

自分自身が英会話カフェに通って得た一番の収穫は、語学力よりも、日本人として持っていた”常識”を客観的に捉えられたことだと思います。今まで、当たり前だと思っていたことが、別の国ではそうではなく、「なぜそうしているのか?」と問われて気づくことが沢山ありました。勿論、逆に、「やっぱり日本は良い国なのだな」ということも同じくらい沢山ありました。

また、そうした”常識”のバックグラウンドが違う相手に、自分の思っていることを的確に伝えるにはどんな説明をしたら良いのか、誤解を減らすために何が出来るのか、という技術も自然と培われると思います。

一番大きいのは、コミュニケーションの基礎力を上げ、異質なネットワークを跨いで交流できるようになることで、自分は今とは別の世界でも何とか生きていけるかもしれない、という希望を持てるようになることです。今のままの世界に居続けるとしても、不要な依存を減らせるはず。生存確率の上昇に寄与する「学び」は、例えば食べることや何かを手に入れることのように、本能的に快感を伴います。新しいことを知るのは、本来的には楽しいことなんです。

勢いよく書いたら、すっごい抽象的になった…(^^;

「ネイティブの先生じゃないんだよね?」という批判がいつか来るんじゃないかなーと漠然と身構えてはいたんですが(まだ誰にも言われてません)、ここまで読んでいただいた通り、完璧な文法や発音を目指すのは、例えば英語でアナウンスをするような職業に就くとか、ほんの一握りのプロだけで十分。その手前にまず沢山「学べること」があると思います。