[映画] Ghost in the shell

スカーレット・ヨハンソン主演の実写版。ディストピアな未来を描くSFが流行るのは、リスクを大きめに見積る安全側の思考回路が働いてのことであって、ネットとAIが統べる現実の未来はもう少しマシなものになりそうだな、という思考は楽観的でしょうか。この映画とは違ったSF世界を描く、森博嗣のWシリーズを書かさず読んでいて、時々、そんなことを感じます。

もちろん、何もかもが最良の状態になるということはないのですが、宗教や科学が目指してきた理想に少しずつ漸近させようとする意志が世界中に散らばっています。何を持って「良い状態」とするのかという問いは哲学的ですらありますが、それぞれの「良い」を最大限尊重し持続できる仕組みを作ろうとするメタ認識が世界中で共有されつつあるように感じることがあります。

開発終盤戦

おかしいな、と思ったことを素直に言える空気を維持すること、システムに不具合があったときに、「ここが変です」と声を上げることが意外に難しい場面があります。自分の責任にされてしまうのではないか、あるいはその部分を担当した人を責める結果になってしまうのではないか。

本来は「トラブル vs 開発チーム」という構図のはずなのに、徐々に生贄探しが始まります。「○○のせいでこうなった」と自分以外の要因に帰してしまうと、その後、考えることが減るので、精神的には随分と楽です。本能的に思考がそちらに向かうのは致し方ないこととして、そこから一歩ひいて状況を俯瞰し、次善の手が打てるリーダーが居るかどうかがプロジェクトの成否に大きく関与します。

要件定義・受託開発

違和感があれば、直接当事者に問いただすべきであって、他所であーだこーだと持論を述べるのは正しいやり方ではない、と考える一方、ちょっとこれは変じゃない?という小さな声が集積して、ある日、閾値を超え、世の中を一変させる可能性も信ずるに足る世の中になっていると思います。

長年、システム開発の仕事に携わってきて、ほとんど成功らしい成功を体験したことがないのですが、様々な失敗パターンは見てきました。技術や予算的な制約が理由として後付けされることが多いですが、結局のところ、あらゆる原因は人と人とのコミュニケーションの問題に終始します。

発注側は、プロジェクトの本質をいつまでも理解しない実装側に苛立ち、実装側は、ころころと要件を変えて要望してくる発注側を疎ましく思う。段々と会議で発言をするメンバーが減っていき、期限や構成の見直しを提案が出来る空気は無くなり、良いアイデアも出なくなる。来るべき破綻の日になるべく自分のダメージを減らすポジション取り合戦が始まり…。

発注側は、プログラミングやコンピュータに関して素人だし、実装側は、逆にシステムが実現しようとするビジネスロジックに関して素人です。お互い相手の領域が分かってないからこそ、パートナーとしてタッグを組む価値があります。このベクトルが正しく向いていれば、最初は途方もなく思えた課題でも意外に難なくクリアすることができます。

助成金

「xxに対するxxを助成します(=お金を出します)」という制度が、今の日本には沢山あります。それぞれの目的があって十把一絡げには出来ないのですが、私は、原則として病院で貰う薬のようなものだと考えています。健康的で自立した生活を目指すなら、無いほうが絶対に良い。慢性化した何らかの症状から抜け出すために一時的に頼るだけのもの、という意識を見失わないことが大切です。

2011年5月23日

人生とは、沢山の時間と可能性を捨てながら、沢山の荷物と不自由さを溜め込んで行く過程です

7年前の日記にこんなことを書いてました。家族の引越しの荷物があまりにも多いことに嘆いていたようです(笑)

その数年後に、見事すっからかんになって自由を手に入れ、大阪に移住しているなどと、一体誰が予想出来たでしょう。と、これを書いてる今は、(大阪はとっくに離れ)宮崎にいて、秋に海外から受け入れるインターンとの共同プロジェクトの計画を練っています。人生は予測不能だから楽しい、ってのもありますけど、そろそろまた荷物と不自由さを溜め込みたくなってる自分も居るような気がします。

昔みたいに技術的なことを書ける場所が欲しいな、と思って note の使い方を少し調べ始めています。独りビールを片手にラップトップに向かう夜も素敵です。勿論、そうでない夜も。

受託開発か自社サービス運営か

色々考えて、たくさん書いたのですが、どうもしっくりくる説明にまとめられなかったので、結論だけ。

与えられたミッションを忠実に遂行することが至上命題となる受託開発と、世の中に存在する数々の不都合や問題の中から、自分たちが解決を目指す部分を探り出しミッションを創り出す自社開発のサービス運営。どちらか一方に偏りすぎることなく、バランスよく手がけられる組織を目指します。

「選択と集中」の原則に反するのでは?という悩みもありますが、何故か不思議に頂く仕事の話と、集まってくる優秀な人たち。ぜんぶまとめて、いけるところまで巻き込んで生きてみましょう。

ダッカ視察旅行

5/8から、バングラディシュの首都ダッカに約4日間滞在してきました。

滞在中もその前後も忙しくて、なかなか振り返る時間が持てていないのですが、やっぱり視点移動としての「旅」は大切だな、と改めて思います。

インフラ(特に電気)の十分でない地域で、外灯の下で勉強を続ける子どもたち、ロヒンギャの難民たち。サブマシンガンやショットガンを持ったガードマンが、街のあちこちに居る風景。

日本に帰れば、また普通の生活に戻るだけで、なにか大層なことが自分に出来るわけではないんですが、こうして見聞きした世界のことを、誰かに少しでも伝えたり、機会があれば少しでもお金を寄付したり、というくらいは、まず出来るように。

拡張記憶装置としてのネット

何年か前に作った読了本の管理アプリに久しぶりに手を入れて、twitterのカード表示と(自分のアカウントへの)ツイート機能を追加しました。

これまでに読んだ本と、スニペット(気になった文章)がランダムに投稿されます。

一番最初に作った時はAmazonのアフェリエイトでちょっと稼げないかなって思ってたんですが(そっちはさっぱりでした(^^;)、今は主に、自分の記憶を掘り起こすために役に立っています。なるべく能動的に知識を集め思考することを心がけたいところですが、やっぱりどうしても楽な方に流れて行きます。せめて受動的になるなら自分が過去に読んだ本を強制的にレビュー(復習)出来たらいいんじゃないかな。

この歳(アラフォー!)になっても、勿論、学ぶことは沢山あるんですが、学び続けるのではなくて、これまでの集積からどんなアウトプットが出せるか、ということも本気で考えていかないと。

てげてげ

宮崎市内のコワーキング(&samble)で Ikkyu のライブを聴いてきました。時間になっても一向に始まらなかったり、明らかに聴いてないお客さんが居たり、「てげてげ」を地で行くような空気感が心地よいです。あ、歌は勿論、一流です!(なんでもっとメジャーにならないんだろ?

将来を生きていく上で「てげてげ」じゃあもう立ち行かないので、なんとかしなければ、という危機感も当然、必要なんですが、生産・流通が徹底的にグローバル・効率化された後に来る「仕事のない社会」の先進モデル(というか回帰先)になるのが、宮崎のライフスタイルなんじゃないかな、と考えています。

朝は山や海で遊んで、昼はそれぞれの仕事をして、夜は集まって焼酎を飲んで。

一休

運を天に任せて

「社長」と若い頃から呼ばれ続けている割には、あんまり大きなお金を動かした経験が無かったんですが、今日は久々に手が震えるような金額の契約書に署名をしました。

時流を精確に読み、合理的で無駄のない決断が出来たかというと、100%の自信は持てないのですが、自分が「こうならいいな」と思える未来に近づく一手だと思えば、どんな結果になろうと後悔は無いと思います。あとは全て神様に任せて、自分は今やれることを淡々とやりましょう。