目の前に提示された問題以外に考えを巡らせない、という訓練に於いては未だに日本の教育はうまく機能しているのだな、と時々感心します(学校だけでなくメディアや政治も同じ方を向いているかも)。「そこは習ってないから」という言い訳が至極正当なものとして認識されているように感じられますし、先生の指導した以外の方法で問題を解いたら減点された、という話も耳にします。
前線の兵士が「なぜ戦争をするのか?」なんて問い出したら収集がつかなくなり全滅してしまうような時代に於いては有効(ある種の必要悪)だったかもしれませんが、この仕組みの弊害が近年あちこちに現れているように観察されます。親、教師、直属の上司が与えた枠組みを超えて俯瞰して思考するという概念を持たない(持てない)ようにする訓練を粛々と続ける人々。
「局所解」という言葉を何度か使って来ました。なんとなく今いるところが正しそうで、周囲はどれも間違っていそう、そんな感じがする場所。他が全てダメというのも、ここが最適解ではないからダメ、というのでもなくて、それを俯瞰できる思考さえあれば、どうにかなってくんじゃないかな、ということ。
…思いがけずシリアスな話題になってしまった(^^;
週末は従兄弟の子どもたちを連れて、日之影の恋和神という名前のコンサートに。新緑の眩しい廃線駅と、色とりどりの花が咲く棚田。冷たい湧き水、暖かい料理に、どこか懐かしい音楽。久しぶりに日光をたっぷり浴びた素敵な一日でした。