2018年11月16日

11月に書きかけていた日記を、ふと思い出して掘り出してきました。年を経るごとに、違う世界に逝ってしまった人のことを想う機会が段々と増えてきます。傷や穴を抱えながらでも、人は生きていける。むしろ逆に、その分、他人の事を考えたり想ったりできるようになるはず。


あれからちょうど3年。もう一生訪れることは無いだろうと思っていた神戸のホテルに滞在しています。昨日も、ふとした電話がきっかけで、また忘れかけていた思い出に触れる機会がありました。

神様とか奇跡とかを信じている訳ではないのですが、誰かに見守られている感覚を持つことがあります。過去の記憶と偶然に一致した部分を増幅して認知しているだけと説明してしまえばそれまでかもしれませんが、そう理屈では理解していても、そう感じてしまうことが、時々あります。そう感じたいのかもしれません。

どう感じるかは、その人次第。でも逆に言うと、感じ方を変えるだけで状況を一変させることも可能です。そのことを只々伝えたかったけれど、叶わない願いになってしまいました。

今度の結婚式でお世話になる神様も「隣人を愛せよ」と仰っています。今目の前にいる人たちに精一杯のことをしてあげられるように生きていこうと思います。自分勝手な解釈ですけれど、「忙しいのもいいけど、たまには私を思い出しなさいよ」って言われてたのかな、と考えてます。

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧