ターゲティング

「ターゲティングが曖昧ですね」

という指摘を受けたのが、ちょうど1ヶ月くらい前。ビジネスとして成立させるためには、こちらから提供したサービス(役務)に対して、見返り(報酬)を必ず要求しなければいけません。ゆる〜く何か作って、良かったら誰か買って〜、というのは趣味としては楽しいかもしれませんが、所詮は趣味の域を出ないわけで。

本業の収入が安定している間は、それで良いと捉えるべきかもしれませんが、いざ時勢が変わった時のために次の苗を育てておくことも必要でしょう。

…あれ。いつの間にか言い訳が始まってる(^^;

1ヶ月考えて答えが出てない訳だから、これはもう確実に苦手分野。好きな人に対して「好きです」ってどうしても言えないんですよね。買ってほしい人に対して「あなたはこれを買うべきだ…!」とも絶対言えないです(断言)。さて、どうするか。

ハードボイルド・ワンダーランド

Why do the birds go on singing
Why do the stars glow above
鳥たちはなぜ歌うのか
星はなぜ光るのか(世界はもう終わったというのに)
– The end of the world

世界は捉え方次第。目が覚めた時に、自分が居る世界が現実?それとも夢の中?そもそも現実とは何?皆、何に向かって生きているの?

あの時以来、常に「生きなさい」と囁いてくれる光があります。もういいよ、って言いたくなる度に、不思議な出会いやチャンスを引き連れて。ただし、よく出来たゲームみたいに程よく難しい条件付き。

変な奴、って思われてることも結構ありそうですけど、変な奴でも誰かの役に立つことを一生懸命続けてれば、しっかり生きてく道は作れます。

限界集落は必要

各論で語るべきところを総論でやっつけようとするから、うまくいかない、という問題が多い気がします。緩衝材のプチプチを必死に踏んづけてもなかなか潰れないけれど、一つづつ指で潰していけば、それほど力も要らないし、いつかは片付くという道理です。

理屈は分かるんですが、なかなか実践できないんですよね。

前回の高千穂帰省の際に、九州になぜ鹿が増えているのか、という興味深い話を伺いました。狼や熊が絶滅したことが良く言われますが、捕食動物が居なくなった時期と増加の時期が一致しないのだそうです。個体が小さくなった、多産になった、雑食性を増しているとか、別の仮説を沢山お持ちでした。

タイトルに戻るのですが、酸素や水のみならず、海への栄養、木材の供給などなど、現在の科学レベルでは、文明の維持に森林が必要不可欠と認識して間違いないと思います。限界集落(過疎地域)で生活を営んでいる方々は、いわばこの森林と人間の生活圏の境界にいる人々なわけで、上述のような知見をごく自然に持っていらっしゃる訳です。

日本の森林をモニタリングし続ける前線基地と捉えると、その役割が明確になるような気がします。

[本] 高千穂伝説殺人事件

地元が舞台のミステリー小説!30年前に出版されていたらしく、今回手に入れたのは79版(刷じゃなくて版ってどゆこと?)でした。長く読まれ続けているんですね。

フィクションとは言うものの、その舞台の高千穂(宮崎県)について入念な調査がなされていることが感じとられる説明が多く、自分が物心ついた頃から見聞きしてきた「高千穂観」って、実はこの小説がルーツなんじゃないの?と勘繰りたくなるくらいです。

バラバラに散らばった事実を、一個人(一権力と言い直しても)の視点から切り取って意味をつけて紡ぐのが物語であり歴史なんですよね。どれほど権威のあるとされる書物でも、全ての真実を網羅できるものではないし、時には主観が混ざり一方的にもなる。大きな声ばかりを聞くのではなく、小さくても美しい音色を奏でる者の語る物語に耳を傾ける努力を続けていれば、この国は(大きく出たな!)まだ何とかなっていくと思います。

http://bookshelf.lmlab.net/books/4041607086/2089

SUP2

「立たないとうまくならないよ」

SUP(StandUp Paddling)の中級者向けクラスに参加。たまたま初級クラスの日に波が穏やかだったというだけで、コツを掴んだ気分になってた自分が恥ずかしい…。揺れるボードの上で、ほとんど立つことも出来ず、ただただ波に翻弄されていました。

武道の「居着き」もこんな感じなのでしょうか。恐怖に心が支配されると、体が強張り、なんてことのない揺れにもバランスを壊しそうになってしまいます。案の定、次の日は凄い筋肉痛でした。落ちたって構わないから、とにかく立って必死に漕いで波に向かう。何回も落ちながら、コツを掴んでくしかないんですよね。きっと。仕事でも人生でも同じことが言えそうです。

変化に素直に

二泊三日の大阪出張。新大阪あたりだと「(海外からの)旅行客が多いなぁ」くらいの印象ですが、なんば・心斎橋あたりの空気はもうほぼ「アジアの一都市」です。日本語が聞こえてこない(^^;

新しい案件、新しい技術、新しい仲間。刺激が多すぎて目眩がしそうです。次々と押し寄せる波に「良い・悪い」はありません。重心を変化させて乗り越える、やり過ごす。時には身を任せて流されてみる。

来年はどんな所に辿り着いているかな?

SUP

あんまり良い写真が無い…。先週と今週、青島で「Stand Up Paddling 」を体験して来ました。サーフィンより少し大きめのボードの上に立ってパドルを漕いで進むのですが、最初はほんの小さな波でもうまくバランスがとれずに落ちてしまいます。

でも、少しずつ慣れてくると遠くを見渡す余裕が出来て、次にくる波が見えるようになります。膝に入っていた余計な力も少しずつとれて、道端の段差をひょいと越えるくらいの感じでやり過ごせるようになります。自分を俯瞰すること、余計な力を抜くこと、状況に応じて姿勢を変えること。一見シンプルに見える体の使い方からでも実に多くの気付きが得られます。

失敗して海に落ちたって、それはそれで気持ち良い、ってのもあります。落ちたらどうしよう、って怖々バランスとってるよりも、落ちるときは思いっきり飛び込もうってなくらいで力いっぱい漕いでると、意外とバランス良く速く進みます。

偶然

ある場所で偶然に出会った誰かと、全然違う場所で偶然に再会するという不思議な偶然がこの5日間に3回も続きました。なんだかワクワクします。偶然テレビに出ちゃったせいで顔を覚えらやすくなってるとか?(サブリミナル効果的な)

どんな小さな確率でも0でなければ、それは起こる可能性があります。小さなプラスを大切に積み重ねて丁寧にコツコツと生きていけば、どこかで何かが大きく変わるはず。諦めずにちょっとずつ。

「占うというのは、科学的にどういった意味でしょうか?」僕は尋ねる。 「そう、あんたは頭が良いね。ようするに、方々をハッキングして、沢山の声を聞く。あちこちを覗いて回る。そういうことから…」マグナダは、前歯を見せながら顎を上げる。そして、片手の人差し指を自分の頭の横に突きつけた。「ここで考えるってことさね」”
森博嗣  私たちは生きているのか

6月6日 曇り時々晴れ

あれからまだ2年?もう2年?大切な記念日をすっかり忘れて、一日中、今抱えているプログラムの課題に取り組んでいました。人間的に欠落しているところがあるのだろうかと悩むこともあるんですが、それを優しく思い出させてくれる人たちが周囲に居ることに素直に感謝。

きっとそういう生き方でいいんじゃないでしょうか。得意なことで誰かを助けて、苦手なことは誰かに助けてもらう。千里ホテルの神父さんにまた会ってみたくなりました。

愛されることばかり願うより、
自分から進んで愛するように努めてみては。
人は好奇心の数だけ生きられる – 貴島テル子

こちらはちょうど2年前の投稿です。自分のブログを振り返るたびに境遇が全然違ってて驚きます(^^;

All you need is…

ここにおいで

週末は2日連続で青島のヨガレッスンに参加してきました。恐ろしく体が硬くて恥ずかしいんですが、ここでたじろいでは、将来がますます心配。ということで、勇気を出して不退転の決意で参加(大げさ)。

東京や大阪の生活にも魅力が沢山あります。何度も書いていますが、田舎に比べて住むメリット(特に収入の十分な仕事)が多いからこそ人が次々と集まり都市が形成されている訳で。でも同時に、「そんなに固まって住まなくても」とも思う部分もあって。海と山が身近に感じられる街に住むのも良いものですよ。「ここにおいで」と本音で素直に言えるような拠点を今度こそ作ってみよう。