【完全無料】のプログラミング教室を盛り上げる!(その2)

クラウドファンディング、始めました。

不退転の決意、というのはこうして試されるのか…!自分が動かないと何も変わらないし、必死で動いたからといって思った方向に変わるとは限らない。結果はどうなるか分からないけど、とりあえずやれるだけのことを…俺の屍を超えて行け…!

閑話休題。

リターン品その1:「CoderDojo、PCN宮崎ステッカー」

現在、発注をかけたところで、まだ写真がありません。CoderDojo宮崎PCN宮崎のロゴマークをステッカーにしています。ラップトップやらカバンに貼るも良し。屋外対応なので自転車に貼っても長持ちするはず。pi-topのキットとかも大量購入して皆で自作ノートパソコンを作るワークショップとか企画しても面白そうです。

【完全無料】のプログラミング教室を盛り上げる!(その1)

クラウドファンディング、始めました。

プログラミングやインターネットの世界には元々「無料(フリー)」が沢山転がっていて、それを最大限に活用できれば、実用面では必要十分な技術の習得は可能だと考えています。

それでもファンディング(資金集め)を思い立った理由に、「お金を稼ぐのは悪いことじゃない、バトンを受け取ることなんだ」という意識を共有したかったということもあります。やりますと宣言して、お金を預かる(=バトンを受け取る)ことで、飽きっぽい性格の自分でも継続せざるを得なくなりますからね(^^;

次回から当プロジェクトのリターン品の魅力をちょいちょい語っていこうと思います!

[本] クマともりとひと

「愛は、言葉ではなく行動である」(マザーテレサの言葉)

クマともりとひとという冊子を頂いて読みました。九州の実家に帰る山道はまるで、「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海のようだと、昔、日記に綴ったことがあります。間伐が行き届かず、立ち枯れや倒木もあちこちに見られ、昼間でも薄暗くやや不気味な森が九州のあちこちに存在します。

拡大造林が悪者のように言われることが多いですが、元を辿れば、子や孫の世代が家を建てる時に材料に困らないように、という想いがそこにあっての政策のはず。どんな時代にあっても50年先なんて正しく読み切れるはずがありません。想いの本質を受け継ぎつつ、軌道を修正し、先につなげるためのあと少しの機転が足りなかっただけ。九州からクマは居なくなってしまいましたが、それでもまだ何かできることはあるはずです。

大阪 -> 愛知

今回の旅も色んな人に会いました。梅田、本町、新大阪、西中島、円町、岡山、名古屋、豊田、本山、一宮、四日市。さすがに後半はしんどくなって微熱が続いてましたが…(@_@)

最近、いろんな思索は巡らせるんですが、どうも文章としてうまく残せなくなっています。と言うより、どれも同じ結論に達してしまう、という感じでしょうか。冷たい人格と、熱い人格が入り混じって議論して、結果的に「ぬるま湯」的な発言しか外に出て行かない…という感じ。ただの小心者とも言えるか(^^;

多様な関係性をバランスよく維持し、相互作用を働かせて全体を利するっていうのはビジネスの基本ではありますが、ネガティブに言うと「八方美人」です。誰にでも良い顔をして、結局は誰の役にも立てない…。考えどころかも。

[映画] モアナと伝説の海

ディズニーの映画は毎回例外なく大人も楽しめます(自分だけ?)。

頭脳明晰で自立したお姫さまが、(ときに一癖ある)王子さまの支援を得ながら目的を達成する、ってのが最近の物語に多いですよね。よく考えたらジブリはほとんどこれ一筋(^^;

宝を探しに行くんじゃなくって、「返しにいく」っていう設定も好きです。って、これもジブリの某作品にあったような。

鳥たちの歌

去年の春も西都原を訪れていたみたいです。今年は桜は見逃してしまいましたが、菜の花がとても綺麗でした。今朝は(桜で有名らしい)垂水公園を目指してみたんですが、自転車では無理でした…。Google Mapが出した経路がもの凄い山道(無舗装で倒木だらけ)で自転車を抱えて進む羽目に。途中でギブアップして引き返してきました。一昨日からの筋肉痛もあって、帰ったらベッドに倒れこみ、気がついたら夕方(^^;

村上龍の小説に「暗く反省しても誰もついてこない。楽しんでいる奴が勝ちだ」ってセリフがあります。道を間違えても、引き返してる間に野鳥の声が聞けるし、吹き抜ける風は心地よく感じられます。まあこれはこれで良かったじゃん、って思えれば、どんな人生でもそこそこ楽しめるはず。時々落ち込むこともあるけれど、前向いて行きましょう。

追記:タイトル修正しました。前のタイトルと文中の引用は村上龍の「69」です。

[映画] シン・ゴジラ

たまには気楽に映画でも…と思って選ぶタイトルではなかった。途中で頭が痛くなってくるくらい台詞が多かったです。英語も頑張って聞き取ろうとするとさらに大変(^^;

3.11を見てきた日本人だからこそ、あちこち突き刺さるシーンがあるんでしょうね。

IchigoFarm

先週末、日南のとあるいちご農家さんのところにお邪魔してきました。これを書いている今は高千穂に居ます。

大きな夢を描く、淡々と知識を増やし技術を磨く、時には全力で遊ぶ。魅力的に映る人って、この3つがうまくバランスしてる人なんだと気が付きました。否、バランスの崩し方が絶妙なんです。戻ってくるべき芯をしっかり持っている、ということなのかな。

続・人工知能考

シンギュラリティ(技術的特異点)の到来は技術の進化によってだけではなく、同時に進行する人間の思考の変化に依るところが大きいのかもしれません。

技術的な面から見ると、従前のエキスパート・システムが実現し得た限界点を、桁違いのデータ量と計算量(ビッグデータとクラウドコンピューティング)による深層学習から構築されたニューラル・ネットワークが抜き去って行くという構図なのですが、実用面から見ると「情報処理」を必要とする仕事が次々に人工知能主導に置き換わっていくというプロセスです。後者の変化が「技術の進歩」に依って、というよりは「人間が積極的に(人工知能に)仕事を譲るようになる」ことによって起こるような気がします。

簡単に言うと、「コンピュータの判断に任せとけばいいよね」っていう人がこれからどんどん増えるんじゃないかな、ということです。たとえば自動運転なんて、そんな恐ろしいもの…!という意見より、ちょっと楽しみかも、とか、私よりは上手かも、みたいな声が増えてきているような気がします。

人工知能考

Tensorflowの勉強をしています。といってもまだやっとインストールが出来て、チュートリアルの前半に居るところですが…。constant, placeholder, variable,…難しい言葉が並びますが、結局のところ何らかの入力信号に対して、重み付けと回帰的な計算が繰り返されて、一つの出力(結論)が得られるという仕組みに他なりません。

結局のところ、と言うのならば、人間の意志そのものすらそうです。生まれや育ちによって重み付けの回路は異なりますが、何らかの入力に対して出力をする主体であることに変わりはなく、結局のところ「思考」って何なの?という哲学じみた疑問にたどり着いてしまいます。

自身への入力(つまり自分の知り得る限りの情報)が全てではないことを客観的に自覚し、結論を急がない、或いは、敢えて揺らぎを持つ、といった部分がコンピュータの知性に勝る部分だと信じていましたが、その砦すら、凌駕される日もそう遠くないのかもしれません。

…ジェットコースタに乗る列に並んでいるような、少し怖さも入り混じった高揚感があります。とても面白い時代に居るのかもしれません。