出張の最終日に時間がとれたので豊田市美術館に寄ってきました。
絵と音と物語が持つ圧倒的な情報量。ジブリ作品は何度観ても毎回新しい発見がある、と某有名デザイナ氏が語るのも、さもありなん。
美術館を歩くと、時々突拍子もないことを思い付くのも、そうした言語外の情報が無意識の思考を刺激するからなのかもしれません。
出張の最終日に時間がとれたので豊田市美術館に寄ってきました。
絵と音と物語が持つ圧倒的な情報量。ジブリ作品は何度観ても毎回新しい発見がある、と某有名デザイナ氏が語るのも、さもありなん。
美術館を歩くと、時々突拍子もないことを思い付くのも、そうした言語外の情報が無意識の思考を刺激するからなのかもしれません。
宮崎に来るといつも雨。
自分にインプットされてきた情報を元に対象の思考を類推する。コミュニケーションって、お互いの類推(言い換えれば”誤解”)を積み重ねて中央値を探ることなんだと思います。
万物に意識が宿る…アニミズムも、ここに繋がります。旅先でいつも天気が悪いのは、誰かが「少し休んで行きなさい」って言ってくれてるのかもしれません。
今日から、大阪・名古屋出張です。
皆(もちろん自分も)、それなりに賢く生きてるつもりでいて、実は変な局所解に落ち込んでない?という問いかけが、田舎への移住のきっかけであって、このブログを書き始めたきっかけでもあります。
ある日、ぽこっと穴に落ち込んで、最初は慌てて戸惑うけれど、段々と慣れてきて、いつの間にか、その穴が世界の全てのように思えて来て…。
限定された世界、小さな信頼できる共同体の中で完結できる人生ってとても素晴らしいと思います。多くの野生生物が寝ぐらとなる穴や自分の群れを持つように、それは一つの目指すべき方向性。ただ、それ(たまたま見つけた、或いは生まれ育った穴)が全てだと感じては危険な場合もある、ということです。いざとなれば自分の世界は自分でエクスパンド出来る、そう信じるための最も抽象的・汎用的な手段が、学びと鍛錬である、と思います。
クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による2010年のアメリカのSFアクション映画。( Wikipediaより)
https://itunes.apple.com/jp/movie/insepushon-zi-mu-ban/id407096799
”ゾウの事は考えるな”
何かを忘れよう忘れようと思うほど、その思いは固定化されるばかり。仕切りのない空間に真空を作ることができないのと同じ道理なのでしょう。
熊本地震の後に、ふとこの映画を思い出しました。現実と夢とを、人間は区別することが出来るのでしょうか。そもそも区別する必要なんかないのかもしれません。
都知事の贅沢ぶりは確かに見ていて気持ちの良いものではないですが、そこまで日本中で大騒ぎすることか?という居心地の悪さは感じていました。特に自営業系の人間なら、これは公私混同かな、、でも、ちょっとくらいいいか、、という経験が皆無という人は居ないと思います(都知事となると桁が違うな…とは思いますが)。
海外のメディアは、ちゃんとその辺りまで冷静に分析して見ているそうです。今回の騒動で得をしたのは誰か?糾弾を免れたのは誰か?と考察しています。
この人の独断っぷりは、あまり好きではないんですが、なるほどと思う部分も多いです。
最悪の幕引きとなった舛添狂奏曲
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/47800147.html
いつも不満や文句ばかり。何を話しても理屈っぽくて、結論や対策を打ち出すまで満足しない。
こんな言い訳考えてる時点でダメとか言われそうなんですが、言い換えると、「問題・改善点を明らかにし、現状を永続化する、或いは望ましい状況に変容させるためのシミュレーションを怠らない」姿勢が染み付いているわけで、それを日常生活のあらゆるシーンに適用しようとしてしまうんですね…。
何かを本気で不快に思っていたり、意見や対応を強要するつもりは一切ないんですけれど、プレッシャを感じてしまう人が居ることは肝に銘じておかないと…。言葉のアウトプットも時々鏡に映してチェックが必要です。
滞在先のすぐ近くで蛍を見つけました。小さな池のほとりを一匹だけふわふわと。目の前まで飛んできたので、手で簡単に捕まえることができました。しばらく手の中で光っていましたが、何かを思い出したかのようにフッと飛び立って、そのままどこかへ。
et lux in tenebris lucet 光は暗きに照る(出典:夜と霧)。儚い光が呼び起こしてくれる記憶と思い出はいつもとても綺麗です。
「今年、36歳になるから、この名前を付けたんですね」って言われて気が付きました。なるほど(^ ^;
36って約数が9個もあります。字面も丸いし、なんとなく柔軟性がある感じがして気に入ってます。あとはお店が繁盛すれば言うことなしなんですが、現実はそんなに甘くない…。事務所として活用しながら、設備やシステムをもっと精査して、もっと魅力のある場所を目指す方向性にちょっと舵を切ることにしました。という訳で、今日は内装と外装のリニューアル工事。
次はここから何を作れるかなぁ。
昨夜は小さなライブを聴きに。このシンガーソングライタ、見た目は小柄だけれど、ピリリと刺激的な唄を歌います。
大きな会場で聴くライブも良いんですけれど、光や音、諸々の陶酔装置でお腹いっぱいになっちゃって、肝心のアーティストの良さに中々届かないんですよね。手の動きやPAとの打ち合わせまで全部聞こえちゃうような距離感がやっぱり心地よいです。
幸運に恵まれて…というよりは単に自分が厚かましいだけかも…と時々本当に心配したりもするんですが(本当ですよ)、先月は5つの家族と食卓を共にすることが出来ました。
ご飯を食べながら、他愛もないことを話しては笑って喜んで、時には叱ったり叱られたり、口論になったり。彼らにとっては当たり前の日常が、自分の眼には痛いくらい眩しく映ります。しかし、例外なく、それぞれにそれなりの不安を抱えながら生きてるんだ、ってことも知ることになります。
失くして初めて気がつくこと。転んで初めて視界に入るもの。