免許更新

5年ぶりの免許更新(次もゴールド!)。視力検査で前回よりも明らかに視力が良くなっていたように感じました。若い時は気づかなかったけれど、高千穂・宮崎では、景色の雄大さが桁違いなんですよね。普段の通勤や散歩で山や海を眺めることが普通で、目のストレッチが十分に出来ていたのだと思います。

前の免許の住所は、昔岡山で買ったマンションのもので、今度の免許の住所は、今月買って引っ越したばかりの宮崎のマンションです(あれからまだ5年!)。けっこう波乱万丈な人生ですが、遭遇してきた不幸以上に、あちこちで色んな人が助けてくれているからこそ今を生きていられる訳で。

[本] あした、次の駅で。

お盆

お盆だけど日中は仕事。二日酔いしてる暇もない感じで朝からひっきりなしに連絡が来ます。ずば抜けた技術がある訳でもないし、しょっちゅうミスもするし…それでも、頼ってきてくれる人がいることに感謝しないと。

今までは、なるべく自分のキャパを超えないように、とにかく約束事をセーブして…という方向で色んなことを考えていましたが、宮崎に来てからやっぱり性格が変わりつつあるような気がします。やるべきことが見えたら、それが出来るレベルまで仲間を集めて突っ走る…!色んなタイプの人が集まるとリアルなドラクエみたいで面白いですよね。ゴールドを貯めて、装備を整えて、新天地へ。

「静かに行く者は 健やかに行く
健やかに行く者は 遠くまで行く」
日本人への遺言 – 城山三郎 高山文彦

TCP/IP

入力に対しtolerant(寛容)に、出力に対しstrict(厳格)に。それぞれのnode(接点)の実装が、このポリシー(RFC1958)を持つだけで、通信の精度が確実に向上します。人間同士のコミュニケーションにも当てはまります。少々きついことを言われても「なるほどそういう視点もあるか」と捉え、言葉を発する時は「誤解を与えないよう(伝えることを諦めないよう)」なるべく工夫する。

このシンプルな原則だけで意外と色んなことが上手く回るようになると思います。インターネットの根幹に採用されているだけでなく、日本人が古来から持つ哲学・文化の中にも存在しているように思います。ただちょっと忘れがちになってるだけ。

既視感あるな…と思ったら、去年も同じこと書いてました(^^;

神仏習合とTCP/IP

塩炊き体験

野生のサルで有名な幸島の近くで塩作りの体験をしてきました。海水から塩が採れるということを知ってはいても、それを実際に見て肌で感じるのは全然違います。ただただ煮詰めても美味しい塩はできないんです。

感動ポイントが多すぎて、とても書ききれないんですけど、後日のために幾つか感じたことをメモ。直接言ってることとは違うので、聞く人によって解釈は違うでしょうけれど、私はこう理解しました、という意味のまとめです。もっと多くの人に体験して貰いたいですね。

多様性を認める:スーパーで売ってる安い塩はダメだ、とは仰いませんでした。こんなに作るのが大変なものを、安く届けてくれる仕組みにも感謝しなければと。

体の声を聞けなければ何を摂っても毒:塩もニガリも大切なミネラルですが、当然限度を超えて摂取したら死んでしまいます。まずは自分の体の声に耳をすますこと。これが出来なければどんな薬も毒になってしまう可能性があります。

何かをすぐ誰かのせいにする人と生きるのはよそう:自然と付き合っていると、自分の意思と関係なく色んなことが起こります。誰かのせいにしない=全てが自己責任、ということではありません(この一軸しか持ってない人が多い気がします)。その場その場で力を合わせてなんとかやっていきましょうよ、という共生のコツ、これをしっかり持っている人たちと繋がると、人生って、どんどん拓けてくると思います。

Happy Salt! https://uchiwa8.thebase.in/

ネットワーク・ビジネス

その昔、ファミレスに呼び出されて一生懸命にハブラシの魅力を語られ、買ってくれと迫られたのも今となっては良い思い出です。強引な勧誘が多く悪いイメージが一部にあった某洗剤会社ですが、今では(サプリとかドリンクとかも扱っていて)すっかり垢抜けて元気に成長中みたいです。

パーティに呼ばれて洗脳された訳じゃないんですが、なんだか時代が追いついて来たというか、これからの社会にそこそこマッチしてく仕組みじゃないの?ってちょっと感じた部分があってこれを書いてます。VALUという最近話題のサービスとオーバーラップするところがある気がします。モノ以外の価値、例えば、人と人とをうまくつなげたり、ある人に足りないところを上手に補ってあげたりという、これまでだと明確に仕事とは定義できず価値を可視化できなかったところに光を当てて、社会の潤滑油になれる人たちに資源(お金)を民主的に分配する仕組みをどちらも目指しているのだと感じました。

この人に好き勝手やらせてみたら面白そう!困ってる人を助けてくれそう!って人に自然とその力が(民主的な多数決で)集まるって面白い仕組みですよね。自由に伴う責任という概念を正しく学ぶ必要はありますが、使いこなすポテンシャルは十分にあるはずです。

私が望んでいるのは、個々が好き勝手に振る舞うことが全体の調和をもたらすシステム。虫のいい話かもしれませんが、無私な生贄を常に要求するシステムほどではないと考えています。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/52031757.html

ターゲティング

「ターゲティングが曖昧ですね」

という指摘を受けたのが、ちょうど1ヶ月くらい前。ビジネスとして成立させるためには、こちらから提供したサービス(役務)に対して、見返り(報酬)を必ず要求しなければいけません。ゆる〜く何か作って、良かったら誰か買って〜、というのは趣味としては楽しいかもしれませんが、所詮は趣味の域を出ないわけで。

本業の収入が安定している間は、それで良いと捉えるべきかもしれませんが、いざ時勢が変わった時のために次の苗を育てておくことも必要でしょう。

…あれ。いつの間にか言い訳が始まってる(^^;

1ヶ月考えて答えが出てない訳だから、これはもう確実に苦手分野。好きな人に対して「好きです」ってどうしても言えないんですよね。買ってほしい人に対して「あなたはこれを買うべきだ…!」とも絶対言えないです(断言)。さて、どうするか。

ハードボイルド・ワンダーランド

Why do the birds go on singing
Why do the stars glow above
鳥たちはなぜ歌うのか
星はなぜ光るのか(世界はもう終わったというのに)
– The end of the world

世界は捉え方次第。目が覚めた時に、自分が居る世界が現実?それとも夢の中?そもそも現実とは何?皆、何に向かって生きているの?

あの時以来、常に「生きなさい」と囁いてくれる光があります。もういいよ、って言いたくなる度に、不思議な出会いやチャンスを引き連れて。ただし、よく出来たゲームみたいに程よく難しい条件付き。

変な奴、って思われてることも結構ありそうですけど、変な奴でも誰かの役に立つことを一生懸命続けてれば、しっかり生きてく道は作れます。

限界集落は必要

各論で語るべきところを総論でやっつけようとするから、うまくいかない、という問題が多い気がします。緩衝材のプチプチを必死に踏んづけてもなかなか潰れないけれど、一つづつ指で潰していけば、それほど力も要らないし、いつかは片付くという道理です。

理屈は分かるんですが、なかなか実践できないんですよね。

前回の高千穂帰省の際に、九州になぜ鹿が増えているのか、という興味深い話を伺いました。狼や熊が絶滅したことが良く言われますが、捕食動物が居なくなった時期と増加の時期が一致しないのだそうです。個体が小さくなった、多産になった、雑食性を増しているとか、別の仮説を沢山お持ちでした。

タイトルに戻るのですが、酸素や水のみならず、海への栄養、木材の供給などなど、現在の科学レベルでは、文明の維持に森林が必要不可欠と認識して間違いないと思います。限界集落(過疎地域)で生活を営んでいる方々は、いわばこの森林と人間の生活圏の境界にいる人々なわけで、上述のような知見をごく自然に持っていらっしゃる訳です。

日本の森林をモニタリングし続ける前線基地と捉えると、その役割が明確になるような気がします。

[本] 高千穂伝説殺人事件

地元が舞台のミステリー小説!30年前に出版されていたらしく、今回手に入れたのは79版(刷じゃなくて版ってどゆこと?)でした。長く読まれ続けているんですね。

フィクションとは言うものの、その舞台の高千穂(宮崎県)について入念な調査がなされていることが感じとられる説明が多く、自分が物心ついた頃から見聞きしてきた「高千穂観」って、実はこの小説がルーツなんじゃないの?と勘繰りたくなるくらいです。

バラバラに散らばった事実を、一個人(一権力と言い直しても)の視点から切り取って意味をつけて紡ぐのが物語であり歴史なんですよね。どれほど権威のあるとされる書物でも、全ての真実を網羅できるものではないし、時には主観が混ざり一方的にもなる。大きな声ばかりを聞くのではなく、小さくても美しい音色を奏でる者の語る物語に耳を傾ける努力を続けていれば、この国は(大きく出たな!)まだ何とかなっていくと思います。

http://bookshelf.lmlab.net/books/4041607086/2089

SUP2

「立たないとうまくならないよ」

SUP(StandUp Paddling)の中級者向けクラスに参加。たまたま初級クラスの日に波が穏やかだったというだけで、コツを掴んだ気分になってた自分が恥ずかしい…。揺れるボードの上で、ほとんど立つことも出来ず、ただただ波に翻弄されていました。

武道の「居着き」もこんな感じなのでしょうか。恐怖に心が支配されると、体が強張り、なんてことのない揺れにもバランスを壊しそうになってしまいます。案の定、次の日は凄い筋肉痛でした。落ちたって構わないから、とにかく立って必死に漕いで波に向かう。何回も落ちながら、コツを掴んでくしかないんですよね。きっと。仕事でも人生でも同じことが言えそうです。