宮崎市長選

出典を思い出せないのですが、だいぶ昔に読んだ村上龍のエッセイで、「次世代のリーダーは、『こんなめんどくさい仕事、本当はやりたくないんだけど、誰かがやらないと不味いでしょう…』という感じで現れて来るんじゃないか」という話を読んだ記憶があります。記憶が曖昧すぎてニュアンス違ってたらごめんなさい(^^;

宮崎市長選の最若手候補者の活動や経歴を見ていて、ふと、思い出しました。東大を出て医師免許を持ってるんだったら、どう考えてもそっちの肩書きに甘んじて生きた方がラクなのに、あえて政治家を目指すなんてよっぽどの変人だと思います(良い意味で!)。どんなビジョンを持って選挙に臨んでいるのか、俄然興味が湧いています。

FacebookなどのSNSを通じて生の声が届く・届けられる距離感に居てくれる政治家というのは、それだけで一つ価値があると思います。当たり障りのない言葉をただ連呼する人はもう不要で、時々間違ってもいいから(一つも間違いを犯さない人間なんて居ません)、常に一緒に考えてくれるリーダーが必要です。

[映画] SING

有名な歌が次々に出てきて、テンションあがります。ほとんど曲名とか知らないけど「なんか聞いたことある!」って程度ですが。こういう映画を観て楽曲の使用料とかどうなってるんだろう?なんて考えてしまう程にスレた大人になってしまった自分が居ます(^^;

ソフトウェアという「知」の領域では、誰かが書いたコードを他の誰かが使ったり、改良したりということが日常的に行われています。歌も昔はそうだったんじゃないでしょうか。沢山の人、幾つもの世代に継がれていく過程で変化したり進化したり。また一周回って、そういうことが当たり前になる時代が来そうな気がします。

[映画] 鍵泥棒のメソッド

おまえの人生、このまま俺がもらうぞ。

だいぶ前にも観てて2回目ですが(^^;  一回観た映画も暫く経つとストーリーを忘れちゃうので、何回も楽しめてしまいます(やばい…)。

幸せってやっぱり「加速度」なんですよね。お金や人脈の持分を微分した「傾き」のことです。どんな酷い状況にあっても(むしろ酷い状況の方が)、幸せにはなれるし、逆に、どれほど恵まれていても幸せを全く感じないということも起こり得ます。

色々あった分、その加速度を楽しめてるって思うと、得した気分になるというか、ただの負け惜しみかもしれないけれど、自分で「悪くないな」って思えたら、その人生そんなに悪くないのは真実です。

レターポット

キンコンの西野さんが旗振り役で開発を進めているプラットフォーム、レターポットを覗いています。詳しくは彼のブログで度々語られています。まだまだα版のサービスで、これがそのままメジャーになっていくかどうかは全然見えない状況ですけれど、非常に面白い(=共感できる)一石を投じていると思います。

このサービスを使ってメッセージを相手に送るには1文字(レター)を1円で購入する必要があります。便箋代として一定の手数料(今は5円?)をプラットフォームに支払って、文字の価値はそのまま送った相手に移ります(ただし有効期限あり)。この時期だと「年賀状」の新しい形と捉えると凄くしっくりきます。年賀状を100枚受け取ったところで何の金銭的価値もない訳ですけれど、やっぱり嬉しいし、それを受け取ったことが新しいコミュニケーションの起点になったりします。年賀状と違うのは、受け取った分を他の誰かに送る文字(レター)として一定期間内であれば再利用が出来る点です。「恩送り(誰かに貰った恩を別の誰かに返すこと)」が自然に発生しやすい仕組みを目指しているようです。

ざっくりし過ぎてて説明足りてないですし、自分もまだまだよく分からないところは沢山あります。彼の目指す未来が現実になるのを見てみたいな、という期待を込めてちょっと使ってみたいなと思います。

お金は信用されることで初めて価値を持つので、「新しい通貨を作る」というのは、つまるところ、「どんな未来を作りたいか?」「どんな未来を信じるか?」という“覚悟”の話になってくる。
キングコング西野 公式ブログ

という訳で、2018年の年賀状出し忘れてた人にはこれで返事を書いてみようかなと思います。と思ったけど、まだアカウントのない人にレターを送るには携帯番号(SMS)が必要なんですね。確かにSMSは間口が広いけど、深夜早朝には送りづらいですね。。ここは今後のアップデートに期待…!

https://letterpot.otogimachi.jp/users/3601

[本] マガリってなんやねん

若いうちから居心地のいい気の合う仲間とばかり群れているとバカな大人になりそうなので
マガリってなんやねん – 小西亮

Kindleを買って初めて購入した記念すべき一冊になってしまった(笑)大阪で有名な日替り店長のお店のオーナーが書いた本です。本人は「なまぬるい小商い」と著書内で自虐的に語ってますが、全く真逆で、これだけの多様性を同居させるには、どれほどの器の広さが居るんだろうと、年下ながらに尊敬の念を感じずには居られません。

「局所解」という言葉をこのブログで何度も使ってきました。居心地の良い仲間と楽しく暮らせる空間があれば、それはそれでとても喜ばしいことです。しかし、どんな空間も不変ではなくて、「日本」という(大きかったはずの)括りすら、世界の中で見ると目に見えてどんどん小さくなってきています。貯金が幾らあっても年収がそこそこあっても、不安に押し潰されそうになっている人がそこら中に居るのがその証左だと思います。

変な出会いを沢山繰り返すことで見えてくる「自分」の輪郭のようなものがあって、それを教えてくれる素敵なお店です。ここのオーナーみたいに「時間にリッチ」な人たちが、これからの社会を引っ張ってくのかもなぁ、ってぼんやり考えてます。

ステレオタイプ

Amwayのディストリビュータに登録して、早半年。金銭的な面での成果らしい成果は一つも無いんですけれど、日々の気付きは沢山あります。アンチ、あるいはアレルギー反応を示すような人たちと沢山出会いました。彼らの言い分も、理解出来なくはないし、当人が見てきた世界に於いては、その通りだったのかもしれません。

しかし、やはりどうしても、自分には、そのほんの数例を切り取って全体に適用しようとする姿勢が受け入れ難く映ってしまいます。○○人だから…、これだから○○の人間は…、男は、女は、、といったステレオタイプは談笑のネタにするには楽しいこともありますが、シリアスな意思決定の場で考慮すべき要素に組み込むべきとは思えません。

売り手と買い手、発信者と受信者の境界が曖昧になりつつある、と言われ出したのはいつ頃からでしょうか。この会社はその仕組みを半世紀以上も温め続けています。ルールを一通り確認した限り、それほど目立って利益率の高い仕組みでもなさそうです。むしろ(昨今流行りのお金儲け手法に比べたら)薄利多売が必要な地道な商売(ちょっと強引な手法で売りつける人も確かに居るようですが、そういうのをなくしたいです)。モノが飽和してしまった現代、良いものと普通のものの間には、もうほんのちょっとの差しかありません。でも、その「ちょっと」の差、いうなれば「無駄」を味わうのが贅沢という楽しみな訳で、そういう楽しさを周囲に伝えられるようになれたら良いな、と考えています。

空振り三振

Airbnbに掲載していたリスティングを閉じました。今回のリスティングは完全に赤字。そこそこ稼働はしていたので、もう少し粘ってみる道もあったかな、、とも思うんですが、拘るべきはハード(物理的な場所や土地)でなくて、ソフトウェアとネットワークだと判断しての撤退です。

良い物件が見つかれば、再開してみるつもりはあります(備品が色々ダブついてるし…)。ただの部屋だと面白くないので、すっごい変なとこにあるとか、変なものが沢山置いてあるとか。なにかテーマを見つけたいですね。

先日のクラウドファンドも大失敗でしたが、「何が足りなかったのか」を少しでも学ぶことができれば、それは一つ前進です。「とりあえずやってみること」に対する恐れはだいぶ克服できてきたような気がします。

来年はもうちょっとソフトな場づくり(例えば英会話のサークルとか)に注力して行ければと思います。こないだ立ち上げたサイト  https://places.lmlab.net/  は、そのためのツールです。サーバの主流が、オンプレからVPSやクラウドに移行したみたいに、住むとこ働くとこも、もっともっと柔軟になれるはず。

他力本願

このタイトルでエントリを書くの2回目でした(^^;

歳をとると、同じ話の繰り返しが多くなるのはある程度仕方がないですよね。せめて、愚痴とか自慢話じゃなくて、ご機嫌で、時には含蓄のある話を繰り返す老人になりたいな、と思います。

宮崎で活動する天才書家の黒蛇さんに来年のカレンダーの題字として「他力本願」を書いて貰いました。この熟語は、「人に任せっきりにすること」というネガティブな使い方をされることもありますが、元来の意味は「み仏の救いによって、あらゆる人々が導かれる」みたいな感じです。或いは、自分一人の力で悟りをひらくことは極めて難しい。大きな力に身を委ねなさい。という意。

小さな会社をやっていると、営業も制作も雑務も自分一人。ぜんぶやんなきゃいけない。うまくいかないときは、すごく虐げられている気分になったり、逆にすんなりと仕事が終わると、自分の力で全て仕上げたような慢心とも呼べる気持ちになったりします。どっちかに落ちそうになったとき、自分の周りにある大きな力(他力)を思い出して感謝するきっかけになるといいな。

他力本願

PC解体ショー

会社の黎明期にお世話になっていたラップトップ(ThinkPad)を分解!どれが何のためのパーツか分かりますか?徹底的に部品が小型化されたスマートフォンに比べれば、普通のドライバでほとんどの作業をこなせるサイズ感がとても心地よい…。CoderDojoとかでハードの勉強の一環としてやればよかったなとちょっと後悔。

HDDが160GBで、メモリが2GB。当時としては相当頑張って投資したマシンだと思います。Ubuntuでも入れて活用しようかと思ったのですが、ディスクの容量はともかく、ブートの速度や周辺機器の相性(対応具合)などなど勘案すると、Raspberry Piあたりの方が使い勝手が良さそうで、結局、再利用をやめました。

20〜30年前の常識からすると、世界征服でもする気?!ってな勢いのスパコン並みのパワーを持ったハードを皆がポケットや鞄に入れて持ち歩いてるのが普通で、今は5000円くらいで買える子ども向けのマシンを10年前のビジネスマンは一生懸命使いこなして仕事を進めていた訳です。テクノロジーの更新速度に比して、人間の能力の進化が追いついていないような気がします。

不時現象

春に咲くはずの桜が秋に花をつけてしまうことを不時現象と呼ぶらしいです。新神戸駅の近くで季節外れの桜に出会いました。

もう十分に時間が経ったから平気かと思ったけど、いざ懐かしい景色に触れると次々に記憶がフラッシュバックし、呼吸や瞬きををすることすら苦しくなってしまいました。軽い船酔いのせいで気持ちがネガティブになっていたせいもあるかもしれません。

過去の辛い記憶は、忘れたくても忘れることはできません。むしろ忘れようとすればするほど苦しさが増すような気がします。そんなときに持つイメージは、蚕が繭を作るように、貝が真珠を作るように、その記憶を芯にして、包み込むように、丁寧に時を刻むこと。辛い経験こそがあなたを一回り強く優しくしてくれるんだよ、って誰に対してでも優しくアドバイスしてあげられそうなくらい経験値積んできたな、って我ながら思います。でも、もうここでは自分からは過去の話はしません!(聞かれれば何でも話すけど)わくわくする未来を描くための構想と自分の好きなことに集中しようと思います。