不時現象

春に咲くはずの桜が秋に花をつけてしまうことを不時現象と呼ぶらしいです。新神戸駅の近くで季節外れの桜に出会いました。

もう十分に時間が経ったから平気かと思ったけど、いざ懐かしい景色に触れると次々に記憶がフラッシュバックし、呼吸や瞬きををすることすら苦しくなってしまいました。軽い船酔いのせいで気持ちがネガティブになっていたせいもあるかもしれません。

過去の辛い記憶は、忘れたくても忘れることはできません。むしろ忘れようとすればするほど苦しさが増すような気がします。そんなときに持つイメージは、蚕が繭を作るように、貝が真珠を作るように、その記憶を芯にして、包み込むように、丁寧に時を刻むこと。辛い経験こそがあなたを一回り強く優しくしてくれるんだよ、って誰に対してでも優しくアドバイスしてあげられそうなくらい経験値積んできたな、って我ながら思います。でも、もうここでは自分からは過去の話はしません!(聞かれれば何でも話すけど)わくわくする未来を描くための構想と自分の好きなことに集中しようと思います。

でかドージョー泉北

12/3(日)に泉北(堺市かと思ってたら隣の大阪狭山市でした)で開かれた「でかドージョー」を見学してきました。

会場はご覧の熱気…!「でかドージョー」とは、周辺の複数のCoderDojoが集まって開催する大きなDojoイベントのことです。(参考:CoderDojoについて

おなじみのScratchの他にも、Minecraft(8x9Craft)、PETS、Viscuitなどなど面白そうなプログラミング環境が揃っています。Gravity Maze、Circuit Mazeなど論理思考を育てるのに役立ちそうなパズルの体験、書籍の展示も。さらには、(小さな子どもさん連れの方向けに)キッズスペースやお菓子コーナーまで。

展示だけでなく、ゲストの講演、保護者の座談会などの内容も盛りだくさんでした。

CoderDojoはプログラミングの「教室」ではなくて、あくまで「Dojo」です。今回の主催者は「プログラミングクラブ」という呼び方をされていました。何を学ぶかのかは、子どもたちに委ねられています。しかし、その出会いのチャンスを与えてあげること、そして沢山の出会いの中から何を選んだら良いのかをアドバイスしてあげることは大人の役割かもしれません。好奇心に忠実な子どもたちの姿勢から、逆に大人が学ぶこともあるはず。

宮崎でも、こんな大きな規模のイベントをやれたらいいな!と心から思える素敵な半日でした。

しるし書店

キングコング西野さんのブログや著書にハマっています。秋元康氏が「天才的なマジシャン」と評しているように、到底、彼の真似は出来そうにないけれど、彼の手品のタネが如何に凄いものか、ということは何とか理解できてる気がします。

基本的に、「まず考えてしまう」という行為は総じておこがましい。そこには「考えれば答えが出る」という前提がある。自分の能力を高く見積もりすぎだ。(中略)答えはいつも「行動」が教えてくれる。
西野亮廣 革命のファンファーレ

著作を読み終えて「しるし書店」の仕掛けに興味が湧いています。というのも、自分も本を読むことが好きで、読み終わった本の処遇に困ってた経験があること(古本屋に売るのも面倒だし、捨てるのはなんとなく気が進まないし)、自分の周囲に居る魅力的な人たちがどんな本を読んでいるのかに興味があること、などなど、本を扱うプラットフォームに興味があったからです。自分が今まで読んできた本は以下のサイトに(技術書以外は)全て記録しています。

http://bookshelf.lmlab.net/

今はただのアフェリエイトサイトっぽい佇まいですが、SNS的な要素をうまく混ぜて本のデータベースに出来たら面白そうかなぁ、と妄想しています。つまり、「しるし書店」のパクリサイトを作ってみようかな?ということ。

…と、興味の移ろいに任せて、今やりかけのことを止めてしまう悪い癖があります。なんにつけても「完成」させるのが怖いんですね(^^; ファッションもわざと手を抜いて、服に興味が持てないからモテないんだ!なんて自分に言い訳するタイプ。塗装が下手だから、わざと最後のパーツを組み立てずに、またあとで本気出すから!オーラを出してくるタイプ。あ、書いてて自己嫌悪に…。

閑話休題。

11/28現在、Google検索する限り、本家の「しるし書店」はまだ一般公開されていない様子。スクリーンショットの情報を頼りにちょっと作り込んでみましょう。年末年始のお休み(とりたい…!)の楽しみに。

[映画] 2001年宇宙の旅

50年前に作られた映画で、描かれている未来はも16年も昔。ものすごい想像力を持った人たちが居たんだなぁ…と感嘆します。今から50年後を想像してみて?って言われてどんなことを思いつきますか…?

写真は映画と全然関係ないですが…森博嗣のWシリーズ文庫本です。このシリーズも不思議な未来を覗かせてくれるとても興味深いストーリが展開します。人工知能とは何か?という探求は結局、人間の思考とは何か?という命題へと繋がってきます。ミクロな世界を突き詰めていくと原子核と電子の構造が太陽系の形にそっくりなように、何か大きなところで繋がっていく感覚。

最近は人工知能がバズワード(営業用の道具)化してるなと感じることもありますが、AI = ビッグデータから有益な知見を効率よく抽出する技術、と捉えると、着実に進歩をし続けています。また、(深層学習を用いない)エキスパートシステムとしてのAIがカバー出来る領域も増えているはず。これも、従来だと計算量やデータの保持にプログラマのリソースが割かれて大変だった部分が、各種のオープンデータやAPIが豊富に提供されだしたことで、ショートカットが容易になってきている部分が大きく寄与しているように見受けられます。

三回忌

まだ2年、それとも、もう2年。去年も見た銀杏の大木が今年も黄色く色づいていました。長く生きて来たな…と思います。これまでの人生に比べて相対的に1年の長さがだんだんと短くなってくるわけで、年々時間が経つのを早く感じるのは、それなりに根拠のある正しい認知です。

何ヶ月、何年経ったから、はいここでお終い、一区切り。ってのは本来無いんですけれど、1,3,7,13って綺麗な等比級数で心を慰めてくれる仏教の仕組みって凄いな…なんて感心しています。どうせまた皆同じところ(あの世)で再会するんだから、どこにも急ぐ必要はありません。

全てはご縁であり、刹那。出会いがあれば必ず別れもあるし、逆も然り。どちらにも素直に感謝できるような生き方を探しながら、もう少しこの世界で踏ん張ってみましょう。

二年

金曜日から4日連続でお酒を飲んでいます。毎日、出会いがあって、未来に向かう話があって、反省すべき失敗もあって…。同じところで浮いたり沈んだりしているだけのような気もするんですが、視点を遠くにやると、だいぶ違うところまで流れてきています。

たくさんのものを失って来たけれど、空いた隙間に、また別の素敵な何かが必ず見つかります。写真は日向の鵜戸神社で偶然見つけた潮溜まりです。奇跡のように澄んだ水の中に、透明な海老たちとハゼ、小さな熱帯魚が静かに同居していました。この日の夕方は高原町の温泉へ。

明後日からは高千穂に帰省します。

色即是空

あるいは空即是色。1は0に、0は1に。有と無。ストックとフロー。それとも、陰と陽?

こうして今打っている文字も、全てが0と1の二進数で表現されています。この文章を考えている自分の思考ですら、シナプスを駆動する微細電流の高低(1と0)から表出している訳で…。

この世の全ては信号が映す夢。だから、もう何もかもどうでも良い、と考えるのか、夢ならば自分のやりたいようにやろう、と考えるのか。問題はそのビット数(組み合わせの数)です。1ビットの思考だとどちらか極端に走ってしまいますが、もう一つ組み合わせを増やせば、4(2^2)通り、8組あれば256通り、64組あれば、1844京通り。思考の解像度を少しでも上げられば、世界のありようはいくらでも変えられるはず。

高野山とImmutable Infrastructure

感謝を言葉に

いい歳したおじさんがフレグランスとかハーブティとかバスソルトとか、爆買い(^^;

ワシは中国人か!乙女か!と自分にツッコミを入れながら帰宅したものの、テーブルに並べてみるとやっぱりニヤリとしてしまいます。なんと言われようと、いいものは良い!

購入したグッズの一つにあった御神籤に「感謝を言葉に」という言葉がありました。占いや祈りを非科学的だと切り捨てる態度こそ、非科学的だと自分は考えています。占いは自己認知のランダマイズされたリマインダです。何を言われたかに依らず、言われた通りに思考してみることで、固着しかけた認識の何かが紐解ける可能性があります。

お世話になってる人、気にかけてくれてる人、近くに居る人にほど感謝を伝えられていないような気がします。つい疎かになりがちです。そういう自分の欠点を(それこそ人生の一部をかけて)気づかせてくれた元妻にも感謝しています。ただし、毎日ひたすら「ありがとう」「ありがとう」と唱えていても仕方がなくて、占いでも記念日でもなんでもいいからそういうトリガを持って、時々思い出しながら、普段は全力で前を向いて生きていくべきだと思います。

神武さま

お祭りをやってることは知ってたのですが、交通規制の情報はよく知らず、偶然ぶつかった通行止めの道路の先に、馬に乗った花嫁が見えました。神武天皇のお祭りなんだそうですが、詳しいことはよく分かりません(^^; 地元の高千穂に四皇子峰という神武天皇が育ったと言われる土地がありますが、こっちで話を聞くと日南生まれの宮崎育ちと言われていたり、歴史もなんだかあやふや。

最近、こうして一日の終わり(もしくは朝)に日記を書くことがすっかり無くなりました。ほんの一千年ちょっと前までは、本を残すってのが国家レベルの一大事業だったことを考えると、家でビール飲みながら文章を綴ってボタンを押すだけで、誰にでも読める形で永続化できるって、やっぱり凄いことですよね。

文殊の知恵

3人でミーティングをすると、具合良くモノゴトが決まることが多いような気がします。多くても少なくても、(ダメということはないけれど)ちょっと違った感じになります。

いろんなことが目まぐるしく動いていて、明日なにが起こるのか分からないけれど、なんだかちょっとずつ楽しいことが増えてきそうな予感を自然に持てるようになりました。今がちょっとした躁状態なのかな?未来が見えないのは、どんな境遇に居ても一緒。未来を自分で作る行動をひとつずつ。