久しぶりに映画の記録。Netflix契約してから見放題なんですが、逆に一本一本が印象に残りにくくなったような…。じっくり選ぶ、という過程もやはり大事。
歳をとると涙腺が緩くなる、ってよく言われますが、様々な役柄の感情に移入できるだけの実体験が伴ってくるからなのかもしれません。他人の気持ちが分かる、なんてことは所詮不可能かもしれません。しかし、そこに近づく努力を常に重ねながら齢を重ねる、という行為自体は素敵なことかも。
愛だけを残せ 名さえも残さず
命の証に愛だけを残せ
映画鑑賞の記録。
久しぶりに映画の記録。Netflix契約してから見放題なんですが、逆に一本一本が印象に残りにくくなったような…。じっくり選ぶ、という過程もやはり大事。
歳をとると涙腺が緩くなる、ってよく言われますが、様々な役柄の感情に移入できるだけの実体験が伴ってくるからなのかもしれません。他人の気持ちが分かる、なんてことは所詮不可能かもしれません。しかし、そこに近づく努力を常に重ねながら齢を重ねる、という行為自体は素敵なことかも。
愛だけを残せ 名さえも残さず
命の証に愛だけを残せ
やるだけのことやろ!やるだけのことやれば、お葬式になっても晴れやかな顔していられるよ?
そうだな、じゃあ倒れるところまで行ってみるか。
20年も前の映画なんですね。「職人」や「リーダー」に求められる資質の変化と普遍的な部分とを考えされられる良いストーリーです。ずるく儲けてバカ騒ぎしてた連中が排除されたことで日本経済が停滞してるように見えるんだったら、それはそれでこの国は良い方向に進んできたんじゃないの?という視点も持てるかもしれません。
村上龍もエッセイで「信頼に基づいた共生」こそが新しいムーブメントだと語っています(おしゃれと無縁に生きる:幻冬社)。このスーパーの副店長のビジョンと符合します。どれほどの技術や資金があっても、他者からの信頼だけは、簡単には得られません。たった一つのミスで全てを失うリスクだってあります。それでも、やるだけのことをやる、それだけが最後に笑っていられる唯一の確実な方法です。
Photo by 足成
ぼーっとするのって結構難しくないですか?
ついつい経営者視点で観ちゃうので、結構ハラハラしました(笑)。いったいどのくらいの蓄えがあって事業を始めたら、こんなに心の余裕が持てるのか、などと考えを巡らせながら。
身も蓋もない現実から目を逸らしてはいけないけれども、こんな空間があったらなと夢を描くのは自由です。よい映画でした。一番大切なメッセージは、店主が合気道と水泳を欠かさない部分ではないかと思います。
(Photo by 足成)
石原さとみの演技が良いです。しばらく本人だと気がつかなかったくらい(単に顔を覚えるの苦手なだけですが)。何を書いてもネタバレになっちゃいますね、この映画は。世界のあらゆる事象は結局「知ったつもり」にしかなれないんだ、ということなんでしょう。
そいうえば、一昨日は「歯の抜ける夢」、昨夜は「靴を探す夢」を見ました。自分自身の意識下ですら、何を考えているのか垣間見る程度にしか分からないのに、ましてや他人の意図を100%理解するなんて到底不可能なことです。だからこそ、人間はいつもコミュニケーションを切望するのかもしれませんが。
グッジョブ!な映画でした。たかだか数十年やそこら生きてきたくらいで、世の成り立ちや人の性質を分かったような気になりかけている自分が恥ずかしく思えます。戦後林業政策の失態という側面から語られる本ばかり目にしていましたが、日本の林業に本来あった純粋な子孫繁栄の願いが、静かに感じ取れました。
田舎の抱える事情はそれぞれで、なにをどうすれば、という答えはその土地土地で全く異なるのだと思います。生きていく糧を稼ぐビジネスも大事ですが、何十年も先の未来にどんなものを遺せるか、そういうことも考えた仕事をして行きたいものです。
観ました。壮大な世界観は見事なものです。冒険(journey)、という単語にワクワクしますよね。魔法使いが知性の象徴みたいに描かれてる割には、なんだか行き当たりばったりで、「そんなんできるなら先に使えよ!」的なツッコミを随所に入れたくなってしまうのですが…そこはファンタジー的にはアンタッチャブルなのかな…。
ミステリーの場合、常に殺人の舞台に居合わせる探偵が一番怪しいのに、そこは誰も突っ込まないことになっているのと同様ですね。
iTunesで借りて観ました。本の読了記録はRailsアプリを作ったんですが、映画も何か記録できるような仕掛けが欲しいですね。読み終わった本や観終わったDVDを棚に溜めておく行為に何か意味があるのか、と問われると難しいですが、カラスがゴルフボールを巣に持ち帰る感覚でしょうか。必要最低限以上の何かが、欲しくなる本能のようなもの?
あ、映画の話するの忘れてました。バンコクが舞台で、南国の熱気が画面の端々から伝わってきました。やっぱり良いですね、東南アジア。
久しぶりに映画を見ました。南米コスタリカが舞台。フィリピンに行った時に送迎の車の中から見た家々ともそっくりの世界。不思議と懐かしさを感じてしまいました。自分の田舎像と妙にオーバラップする部分があったからだと思います。
オヤジたちは、少し汚れた下着のようなシャツで歩き回り、昼間から酒を飲むし、煙草はどこにでも放り投げる。小便だってどこにでもする。犬や猫、それからニワトリは放し飼い。工場の騒音は凄いし、焚き火や焼却場の臭いが立ち込めるようなこともありました。道路の舗装は完全でなく、雨の後には水たまりがあちこちに。祖父が小学生の自分をスクータの座席の前のスペースに立たせて、二人乗りで釣りに行っていたのも、今同じことをやったら大問題になってしまいそうですね。
映画の中で「ここが楽園だと思うか?」と尋ねるシーンが出てきます。コスタリカの華やかなリゾートと比べるのも変ですが、まあ結局どこにも負の現実はあるわけで。そういう清濁を併せ呑めるようになってこそ、田舎って楽しいのかもしれませんね。