ステレオタイプ

Amwayのディストリビュータに登録して、早半年。金銭的な面での成果らしい成果は一つも無いんですけれど、日々の気付きは沢山あります。アンチ、あるいはアレルギー反応を示すような人たちと沢山出会いました。彼らの言い分も、理解出来なくはないし、当人が見てきた世界に於いては、その通りだったのかもしれません。

しかし、やはりどうしても、自分には、そのほんの数例を切り取って全体に適用しようとする姿勢が受け入れ難く映ってしまいます。○○人だから…、これだから○○の人間は…、男は、女は、、といったステレオタイプは談笑のネタにするには楽しいこともありますが、シリアスな意思決定の場で考慮すべき要素に組み込むべきとは思えません。

売り手と買い手、発信者と受信者の境界が曖昧になりつつある、と言われ出したのはいつ頃からでしょうか。この会社はその仕組みを半世紀以上も温め続けています。ルールを一通り確認した限り、それほど目立って利益率の高い仕組みでもなさそうです。むしろ(昨今流行りのお金儲け手法に比べたら)薄利多売が必要な地道な商売(ちょっと強引な手法で売りつける人も確かに居るようですが、そういうのをなくしたいです)。モノが飽和してしまった現代、良いものと普通のものの間には、もうほんのちょっとの差しかありません。でも、その「ちょっと」の差、いうなれば「無駄」を味わうのが贅沢という楽しみな訳で、そういう楽しさを周囲に伝えられるようになれたら良いな、と考えています。

空振り三振

Airbnbに掲載していたリスティングを閉じました。今回のリスティングは完全に赤字。そこそこ稼働はしていたので、もう少し粘ってみる道もあったかな、、とも思うんですが、拘るべきはハード(物理的な場所や土地)でなくて、ソフトウェアとネットワークだと判断しての撤退です。

良い物件が見つかれば、再開してみるつもりはあります(備品が色々ダブついてるし…)。ただの部屋だと面白くないので、すっごい変なとこにあるとか、変なものが沢山置いてあるとか。なにかテーマを見つけたいですね。

先日のクラウドファンドも大失敗でしたが、「何が足りなかったのか」を少しでも学ぶことができれば、それは一つ前進です。「とりあえずやってみること」に対する恐れはだいぶ克服できてきたような気がします。

来年はもうちょっとソフトな場づくり(例えば英会話のサークルとか)に注力して行ければと思います。こないだ立ち上げたサイト  https://places.lmlab.net/  は、そのためのツールです。サーバの主流が、オンプレからVPSやクラウドに移行したみたいに、住むとこ働くとこも、もっともっと柔軟になれるはず。

他力本願

このタイトルでエントリを書くの2回目でした(^^;

歳をとると、同じ話の繰り返しが多くなるのはある程度仕方がないですよね。せめて、愚痴とか自慢話じゃなくて、ご機嫌で、時には含蓄のある話を繰り返す老人になりたいな、と思います。

宮崎で活動する天才書家の黒蛇さんに来年のカレンダーの題字として「他力本願」を書いて貰いました。この熟語は、「人に任せっきりにすること」というネガティブな使い方をされることもありますが、元来の意味は「み仏の救いによって、あらゆる人々が導かれる」みたいな感じです。或いは、自分一人の力で悟りをひらくことは極めて難しい。大きな力に身を委ねなさい。という意。

小さな会社をやっていると、営業も制作も雑務も自分一人。ぜんぶやんなきゃいけない。うまくいかないときは、すごく虐げられている気分になったり、逆にすんなりと仕事が終わると、自分の力で全て仕上げたような慢心とも呼べる気持ちになったりします。どっちかに落ちそうになったとき、自分の周りにある大きな力(他力)を思い出して感謝するきっかけになるといいな。

他力本願

PC解体ショー

会社の黎明期にお世話になっていたラップトップ(ThinkPad)を分解!どれが何のためのパーツか分かりますか?徹底的に部品が小型化されたスマートフォンに比べれば、普通のドライバでほとんどの作業をこなせるサイズ感がとても心地よい…。CoderDojoとかでハードの勉強の一環としてやればよかったなとちょっと後悔。

HDDが160GBで、メモリが2GB。当時としては相当頑張って投資したマシンだと思います。Ubuntuでも入れて活用しようかと思ったのですが、ディスクの容量はともかく、ブートの速度や周辺機器の相性(対応具合)などなど勘案すると、Raspberry Piあたりの方が使い勝手が良さそうで、結局、再利用をやめました。

20〜30年前の常識からすると、世界征服でもする気?!ってな勢いのスパコン並みのパワーを持ったハードを皆がポケットや鞄に入れて持ち歩いてるのが普通で、今は5000円くらいで買える子ども向けのマシンを10年前のビジネスマンは一生懸命使いこなして仕事を進めていた訳です。テクノロジーの更新速度に比して、人間の能力の進化が追いついていないような気がします。

不時現象

春に咲くはずの桜が秋に花をつけてしまうことを不時現象と呼ぶらしいです。新神戸駅の近くで季節外れの桜に出会いました。

もう十分に時間が経ったから平気かと思ったけど、いざ懐かしい景色に触れると次々に記憶がフラッシュバックし、呼吸や瞬きををすることすら苦しくなってしまいました。軽い船酔いのせいで気持ちがネガティブになっていたせいもあるかもしれません。

過去の辛い記憶は、忘れたくても忘れることはできません。むしろ忘れようとすればするほど苦しさが増すような気がします。そんなときに持つイメージは、蚕が繭を作るように、貝が真珠を作るように、その記憶を芯にして、包み込むように、丁寧に時を刻むこと。辛い経験こそがあなたを一回り強く優しくしてくれるんだよ、って誰に対してでも優しくアドバイスしてあげられそうなくらい経験値積んできたな、って我ながら思います。でも、もうここでは自分からは過去の話はしません!(聞かれれば何でも話すけど)わくわくする未来を描くための構想と自分の好きなことに集中しようと思います。

でかドージョー泉北

12/3(日)に泉北(堺市かと思ってたら隣の大阪狭山市でした)で開かれた「でかドージョー」を見学してきました。

会場はご覧の熱気…!「でかドージョー」とは、周辺の複数のCoderDojoが集まって開催する大きなDojoイベントのことです。(参考:CoderDojoについて

おなじみのScratchの他にも、Minecraft(8x9Craft)、PETS、Viscuitなどなど面白そうなプログラミング環境が揃っています。Gravity Maze、Circuit Mazeなど論理思考を育てるのに役立ちそうなパズルの体験、書籍の展示も。さらには、(小さな子どもさん連れの方向けに)キッズスペースやお菓子コーナーまで。

展示だけでなく、ゲストの講演、保護者の座談会などの内容も盛りだくさんでした。

CoderDojoはプログラミングの「教室」ではなくて、あくまで「Dojo」です。今回の主催者は「プログラミングクラブ」という呼び方をされていました。何を学ぶかのかは、子どもたちに委ねられています。しかし、その出会いのチャンスを与えてあげること、そして沢山の出会いの中から何を選んだら良いのかをアドバイスしてあげることは大人の役割かもしれません。好奇心に忠実な子どもたちの姿勢から、逆に大人が学ぶこともあるはず。

宮崎でも、こんな大きな規模のイベントをやれたらいいな!と心から思える素敵な半日でした。

しるし書店

キングコング西野さんのブログや著書にハマっています。秋元康氏が「天才的なマジシャン」と評しているように、到底、彼の真似は出来そうにないけれど、彼の手品のタネが如何に凄いものか、ということは何とか理解できてる気がします。

基本的に、「まず考えてしまう」という行為は総じておこがましい。そこには「考えれば答えが出る」という前提がある。自分の能力を高く見積もりすぎだ。(中略)答えはいつも「行動」が教えてくれる。
西野亮廣 革命のファンファーレ

著作を読み終えて「しるし書店」の仕掛けに興味が湧いています。というのも、自分も本を読むことが好きで、読み終わった本の処遇に困ってた経験があること(古本屋に売るのも面倒だし、捨てるのはなんとなく気が進まないし)、自分の周囲に居る魅力的な人たちがどんな本を読んでいるのかに興味があること、などなど、本を扱うプラットフォームに興味があったからです。自分が今まで読んできた本は以下のサイトに(技術書以外は)全て記録しています。

http://bookshelf.lmlab.net/

今はただのアフェリエイトサイトっぽい佇まいですが、SNS的な要素をうまく混ぜて本のデータベースに出来たら面白そうかなぁ、と妄想しています。つまり、「しるし書店」のパクリサイトを作ってみようかな?ということ。

…と、興味の移ろいに任せて、今やりかけのことを止めてしまう悪い癖があります。なんにつけても「完成」させるのが怖いんですね(^^; ファッションもわざと手を抜いて、服に興味が持てないからモテないんだ!なんて自分に言い訳するタイプ。塗装が下手だから、わざと最後のパーツを組み立てずに、またあとで本気出すから!オーラを出してくるタイプ。あ、書いてて自己嫌悪に…。

閑話休題。

11/28現在、Google検索する限り、本家の「しるし書店」はまだ一般公開されていない様子。スクリーンショットの情報を頼りにちょっと作り込んでみましょう。年末年始のお休み(とりたい…!)の楽しみに。

[映画] 2001年宇宙の旅

50年前に作られた映画で、描かれている未来はも16年も昔。ものすごい想像力を持った人たちが居たんだなぁ…と感嘆します。今から50年後を想像してみて?って言われてどんなことを思いつきますか…?

写真は映画と全然関係ないですが…森博嗣のWシリーズ文庫本です。このシリーズも不思議な未来を覗かせてくれるとても興味深いストーリが展開します。人工知能とは何か?という探求は結局、人間の思考とは何か?という命題へと繋がってきます。ミクロな世界を突き詰めていくと原子核と電子の構造が太陽系の形にそっくりなように、何か大きなところで繋がっていく感覚。

最近は人工知能がバズワード(営業用の道具)化してるなと感じることもありますが、AI = ビッグデータから有益な知見を効率よく抽出する技術、と捉えると、着実に進歩をし続けています。また、(深層学習を用いない)エキスパートシステムとしてのAIがカバー出来る領域も増えているはず。これも、従来だと計算量やデータの保持にプログラマのリソースが割かれて大変だった部分が、各種のオープンデータやAPIが豊富に提供されだしたことで、ショートカットが容易になってきている部分が大きく寄与しているように見受けられます。

三回忌

まだ2年、それとも、もう2年。去年も見た銀杏の大木が今年も黄色く色づいていました。長く生きて来たな…と思います。これまでの人生に比べて相対的に1年の長さがだんだんと短くなってくるわけで、年々時間が経つのを早く感じるのは、それなりに根拠のある正しい認知です。

何ヶ月、何年経ったから、はいここでお終い、一区切り。ってのは本来無いんですけれど、1,3,7,13って綺麗な等比級数で心を慰めてくれる仏教の仕組みって凄いな…なんて感心しています。どうせまた皆同じところ(あの世)で再会するんだから、どこにも急ぐ必要はありません。

全てはご縁であり、刹那。出会いがあれば必ず別れもあるし、逆も然り。どちらにも素直に感謝できるような生き方を探しながら、もう少しこの世界で踏ん張ってみましょう。

二年

金曜日から4日連続でお酒を飲んでいます。毎日、出会いがあって、未来に向かう話があって、反省すべき失敗もあって…。同じところで浮いたり沈んだりしているだけのような気もするんですが、視点を遠くにやると、だいぶ違うところまで流れてきています。

たくさんのものを失って来たけれど、空いた隙間に、また別の素敵な何かが必ず見つかります。写真は日向の鵜戸神社で偶然見つけた潮溜まりです。奇跡のように澄んだ水の中に、透明な海老たちとハゼ、小さな熱帯魚が静かに同居していました。この日の夕方は高原町の温泉へ。

明後日からは高千穂に帰省します。