皆(もちろん自分も)、それなりに賢く生きてるつもりでいて、実は変な局所解に落ち込んでない?という問いかけが、田舎への移住のきっかけであって、このブログを書き始めたきっかけでもあります。

ある日、ぽこっと穴に落ち込んで、最初は慌てて戸惑うけれど、段々と慣れてきて、いつの間にか、その穴が世界の全てのように思えて来て…。

限定された世界、小さな信頼できる共同体の中で完結できる人生ってとても素晴らしいと思います。多くの野生生物が寝ぐらとなる穴や自分の群れを持つように、それは一つの目指すべき方向性。ただ、それ(たまたま見つけた、或いは生まれ育った穴)が全てだと感じては危険な場合もある、ということです。いざとなれば自分の世界は自分でエクスパンド出来る、そう信じるための最も抽象的・汎用的な手段が、学びと鍛錬である、と思います。

祭りの裏側

都知事の贅沢ぶりは確かに見ていて気持ちの良いものではないですが、そこまで日本中で大騒ぎすることか?という居心地の悪さは感じていました。特に自営業系の人間なら、これは公私混同かな、、でも、ちょっとくらいいいか、、という経験が皆無という人は居ないと思います(都知事となると桁が違うな…とは思いますが)。

海外のメディアは、ちゃんとその辺りまで冷静に分析して見ているそうです。今回の騒動で得をしたのは誰か?糾弾を免れたのは誰か?と考察しています。

ルモンドの記事から
http://blog.tatsuru.com/2016/06/16_1450.php

この人の独断っぷりは、あまり好きではないんですが、なるほどと思う部分も多いです。

最悪の幕引きとなった舛添狂奏曲
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/47800147.html

いつも不満や文句ばかり。何を話しても理屈っぽくて、結論や対策を打ち出すまで満足しない。

こんな言い訳考えてる時点でダメとか言われそうなんですが、言い換えると、「問題・改善点を明らかにし、現状を永続化する、或いは望ましい状況に変容させるためのシミュレーションを怠らない」姿勢が染み付いているわけで、それを日常生活のあらゆるシーンに適用しようとしてしまうんですね…。

何かを本気で不快に思っていたり、意見や対応を強要するつもりは一切ないんですけれど、プレッシャを感じてしまう人が居ることは肝に銘じておかないと…。言葉のアウトプットも時々鏡に映してチェックが必要です。

360 – 3ヶ月

「今年、36歳になるから、この名前を付けたんですね」って言われて気が付きました。なるほど(^ ^;

36って約数が9個もあります。字面も丸いし、なんとなく柔軟性がある感じがして気に入ってます。あとはお店が繁盛すれば言うことなしなんですが、現実はそんなに甘くない…。事務所として活用しながら、設備やシステムをもっと精査して、もっと魅力のある場所を目指す方向性にちょっと舵を切ることにしました。という訳で、今日は内装と外装のリニューアル工事。

次はここから何を作れるかなぁ。

一休

昨夜は小さなライブを聴きに。このシンガーソングライタ、見た目は小柄だけれど、ピリリと刺激的な唄を歌います。

大きな会場で聴くライブも良いんですけれど、光や音、諸々の陶酔装置でお腹いっぱいになっちゃって、肝心のアーティストの良さに中々届かないんですよね。手の動きやPAとの打ち合わせまで全部聞こえちゃうような距離感がやっぱり心地よいです。

http://ikkyu19.net/

家族

幸運に恵まれて…というよりは単に自分が厚かましいだけかも…と時々本当に心配したりもするんですが(本当ですよ)、先月は5つの家族と食卓を共にすることが出来ました。

ご飯を食べながら、他愛もないことを話しては笑って喜んで、時には叱ったり叱られたり、口論になったり。彼らにとっては当たり前の日常が、自分の眼には痛いくらい眩しく映ります。しかし、例外なく、それぞれにそれなりの不安を抱えながら生きてるんだ、ってことも知ることになります。

失くして初めて気がつくこと。転んで初めて視界に入るもの。

農家とITエンジニア

どちらも「職業」というよりも「生き方」に近いように思います。

種を蒔かないと収穫は出来ないのですが、蒔いたからと言って芽が出るかどうかは分かりません。多くの技術書を読んで知識を蓄えても、それが仕事に繋がるかどうかは分かりません。

芽が出た後も、様々なケアが必要です。プログラマもシステムをリリースしたら日々バグ(虫)取りに勤しむことになります。

どんな災害がいつやってくるのか予期することができません。システム障害も、常に未知のケースとの戦いです。

エンジニアのための時間管理術 という本の受け売りですけれどね…。「職業」として真面目に捉えると割に合わないな、と感じる人も居るかもしれません。必要とされているから続けるという大義名分もあるかもしれませんが、一番の原動力は、作ること・育てることの楽しさなのかなぁ、と思います。この時期の田舎の田んぼは本当に綺麗です。写真は去年のですが… (^ ^;

背が伸びました

大学生の頃からずーっと一緒だった身長が、健康診断の時に測ったら1cmほど伸びていました。午前中に計測したら少し高い、という要因もあるみたいですけれど、なんだか嬉しいので「伸びた」ということにしてます。

産まれたばかりの赤ちゃんでも、いつかは必ず死ぬことが決まっている訳で、いわば誰でも進行の遅い癌にかかってるのと一緒です。どれだけ生きるかよりも、どう生きるかが大切。これ以上生きてて誰かの役に立つんだろうか、なんてバカなこと考えてる暇あったら、まずは自分のために何か成しましょう。

世界の終わり

鳥たちはなぜ歌うのか。世界はもう終わったというのに。

絶好のラウンド日和!…のはずだったんですが、予定が変わって、宮崎一人旅に。日向岬、西都原古墳群、市民の森公園を巡ってきました(動物園は時間が足りず!)。相変わらずゴルフはちっとも上達しないので、内心ホッとしてるかも(^ ^;

地震のニュースもそうですが、「死」というものがあまりに近く生々しく次々と起こり、時折、現実と黄泉とが混濁するかのようです。それでも、朝になると目が覚めて、昼になると空腹を感じ、夜になると誰かと語らいたくなる、そんなリズムを自分は持っているみたい。

世界は捉え様次第。全ては移ろい。古代のお墓の周囲は生に満ち溢れていました。

追記:

そういえば、市内の公園では蝉の鳴き声が聞こえていました。気が早いのが居るみたいですね。高千穂では、まだ朝夕に暖房をつけることがあります。

熊本地震 4日目

熊本加油!

香港の友人がよく「add oil!」って言い回しを使ってたのでピンと来ました。「熊本の人たち頑張って!」という意味の中国語らしいです。Facebookを開くと、世界中の人たちが心配して励まそうとしてくれているのが伝わってきます。

多くの道路が損傷・破壊され、今後の物流が心配ですが、この辺りは田舎の強みなのでしょうね。「もともと孤立してるみたいなもんや」という落ち着いたコメント多数。一時断水があったとはいえ、水を手に入れることに都会ほどの困難さは感じないのは確か。食料や燃料も普段から相当量、備蓄してある家が多いのではと想像します。

スーパーではパンやカップ麺、ペットボトル飲料の棚が空になっていましたが、上述のような雰囲気からして、地元の人たちが衝動的に買い占めに走ったというのではなさそうです(流通段階もしくは有志が被災地区に優先的に届けてるものと想像します)。

竹や木材でいろんな道具を作ったり、山菜を採ったり、川で魚を釣ったり…。祖父に教わった沢山のことを思い出しました。本物のサバイバルには程遠いんですけど(そりゃまあ子連れなので…)、山の中で水や食べ物を探したりという経験が、何があっても落ち着いて生き抜く力を涵養してくれていたのかもしれません。